いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

リバウンドしないように

自尊心、自己肯定感が極限まで下がっている時、精神病が自分の中で特に猛威を振るっていたように思いました。

 

なぜなら、「自分の精神が病んでいる」「正常ではない」と思うこと自体が、自尊心、自己肯定感を低いままにしておくのに好都合だったからでした。

 

私がどこか劣等感や負い目を感じ続けるためには、精神病を利用し、それを持ち続けることが一番手っ取り早い方法だったのです。

 

つまり、「精神病だったから、自尊心、自己肯定感が低くなった」のではなく、「自尊心、自己肯定感が低くなったから、精神病が発症したのだ」ということに気づきました。

 

ということは、自尊心や自己肯定感を低いままにしておきたいという裏の自分の本心があり、それがすべてを誘発していたということがわかりました。

 

だから、私は無意識の内に自らそれを癒すことを拒否していたようにも思いました。

 

ただ、当時の私は精神病が治る見通しが欲しいとも思っていました。

 

とりあえず、正常だったと自分が思えた頃からドン底までの年数を基準にしようと思いました。

 

10年かけて状態が悪くなったのだとしたら、10年かけて戻せばいいと思うことにしました。

 

もっとかかるのか、早まるのかはわかりませんでしたが、何となく自分の状態が悪くなっていった年数と同じ年数をかければ、きっと良くなるという期待を持つことにしました。

 

さらに、自尊心や自己肯定感が乏しくなると、過去に周囲から言われたネガティブな言葉通りに生きてしまうということもわかりました。

 

それを書き換えるためには、今の自分がどういう人間かを洗い出してみることが一つの気づきを生むきっかけになりました。

 

自分の今の状態を一つの役だと思って、客観的に眺めてみるようにします。

 

容姿、性格、周囲の環境などをまず自分自身がはっきりと自覚することから始めます。

 

そして、それを自分が本当はこうありたいと思うものに
ほんの少しでもいいので近づけてみます。

 

この時、急激な変化はリバウンドを起こすのでおすすめしません。

 

実は、私は突然自分のステージが上がるような環境に身を置いた時、どこか馴染めない感覚を抱き、一時的に以前の慣れ親しんだ古巣に戻りたいと思ってしまいました。

 

例えるなら、自分が花だとしてそれまで咲いていた花壇から突然引っこ抜かれて、別の花壇に植え替えられたような感覚になりました。

 

そこが明らかに自分にとって素晴らしい環境だとわかっていても、どこか不安で前に咲いていた花壇に戻りたいという思いが沸き起こりました。

 

新しい環境の方が幸せで良いとわかっているにも関わらず、不便で苦しいそれ以前の環境の方が慣れていて安心だと感じ、そのように思ってしまったのだと思います。

 

その経験から、自分でも気づかないくらいのちょっとした変化を自分に与えていく方が、リバウンドせず確実に階段を上っていけるということを感じました。

 

変化は早ければよいという訳ではなく、しっかり一段一段踏みしめて上がっていくことが、長い目で見た時に基盤のしっかりした変化へと繋がっていくのだと思いました。
そのことから変化は緩やかな方がいいというのが私の持論です。

 

ほんの1ミリずつでもいいので、何か変えてみることが一番効果的だと思っています。

 

また、一進一退でもいいと思います。
こういう時期もある、これは通るべき道だと思って焦らないことが肝心です。

 

私は鬱病から抜け出る時がまさにそのような状態でした。
躁鬱病のような状態で、精神の状態が良い時と悪い時の波が激しい状態がしばらく続きました。

 

急に気分が落ち込んだ時は、やっぱり治らないんだと思いましたが、行きつ戻りつを繰り返すうちに、やがてどんどん良くなっていきました。

 

そういう時は、いつ治るのかはわからないけれど、治る道のりの途中にあるんだと信じ続けるだけでいいと思います。天の流れ、人生の流れによって自然と癒されるからです。

 

実際、時の流れと共に私の精神病は癒されていきました。
人間の持つ自然治癒力は本当にすさまじいものです。
精神病さえも癒す力があるということを自らの体験から実感しました。

 

そして、自分自身が癒しているのではない、自分の中にある神性、本質の光が本来の自分の姿を思い出させてくれたから癒されたのだろうと思いました。


少しずつそれらが顕現することによって、いつの間にか癒されているという状態になるのだと思いました。

 

本来人間に病はないのかもしれないとも思いました。完全無欠の神と同質のものが一人一人の魂にテンプレートとして宿っているのだと気づきました。

 

それを知って生きるのとそうでないのとでは人生がまるで違ってきます。

 

そうすると、どんなものにでもなれます。

 

ただ、本来のあなたの姿、役割ではないものや、
自分の意志決定や好みによっても
ある程度選択肢は限られるようにできていますが、
本来可能性は無限大であるように思います。

  

本当の願いは遮るものもなく、すぐに実現されるというのが
むしろ自然なのではないかとも思いました。

 

今の自分を変えて行こうと少しでもその気持ちを持ち続けることが
やがて大きな変化へと繋がっていくのだと思っています。

自尊心、自己肯定感が低くなる その2

前回の記事の続きです。

 

9.良いもの程受け取れない、他の人に譲ってしまう
何かふいに自分が思いもよらず良いものを受け取ると、どこか自分の身に不相応な気がして、誰かに譲ってしまったり、それを受け取ることをあえて拒否してしまうことがありました。
そうするように誰かに勧められたり、強制されている訳でもないのに、なぜか自分にとってプラスになる物やチャンス程、遠慮したり無意識に避ける、受け取らないという行動を取っていました。何でも他者を優先し、自分は残りもので十分だと思っていました。

 

10.待遇の悪い環境でもそれに甘んじてしまう

自己評価が低いため、自分の現在の待遇や環境、仕事が合っていなくても、自分はこれで妥当だと思い込んで、そこにしがみついていました。
もっと自分が生かせる、幸せになれる環境が周りに沢山あるのに、そこに目を向けるということを一切していませんでした。

 

11.自分の好きなことがわからなくなる
自分の好きなこと、やりたいこと、欲しいもの、自分が喜ぶこと、望んでいることがわからなくなり、全然違うものを自らに与えて、後で欲求不満になっていました。
不満があっても仕方がないとすぐに妥協して諦め、それが得られるまで求めようという意欲すら持てずにいました。

 

12.本当はやりたいと思っていることも人の目を気にしてできない
内心本当は自分は何をしたいかに気づいたとしても、他者の目を意識するあまりそれができずに葛藤の中で悩むということがありました。
他者の目が必要以上に強く意識されていたため、「これをしたら馬鹿にされないか?」「調子に乗っていると思われないか?」などという考えが浮かび、怖れによって極端に自分の行動に制限がかかっていました。

 

13.買い物の際、不良品、傷んでる食材を無意識に選んでいる
何気なく選んでいる商品や食材が不良であることが多く、外れくじを自ら引いているような運の悪い出来事が度々起こっていました。
またそういったことが起きても、いつも何も言えずに泣き寝入りをしていました。

 

14.いつもネガティブな未来を想像してしまい、何事にもチャレンジできない

いつも何かをする時に最悪の事態を想定してしまったり、どうせ無理だろうとその物事が起こる前からネガティブな状況になることを予想し、結果としてその通りの現実が引き寄せられるということが起きていました。
そのせいで失敗と感じる体験が積み重なり、チャレンジする意欲がさらに削がれるという悪循環に陥っていました。

 

15.見栄っ張りな性格で、プライドだけが人一倍が高かった

自分はやればできるけれどやらないだけだということを言い訳にして、いつも努力することを怠り、自分の実力や現実を直視することから逃げていました。
挑戦しなければ傷つかないと思い、やることを先延ばしにしたり、現状維持で満足したり、誇大妄想に浸って見栄を張ったりしていました。
また、できもしないことばかりを高望みし、どこか自分を過信していて、地に足がついていない生き方になっていました。
さらに、「虎の威を借る狐」という故事成語のように、自分以外の権威(家族や友人など周囲の何かしらの功績)に頼って自分の存在価値を高めようしたり、無意識にそのことを自慢する癖もありました。

 

16.自己犠牲的な生き方に価値を見出す

自分は幸せになってはいけない存在なんだとどこか思っているところがあり、何かのため、誰かのために犠牲になることで自分の存在価値を感じていました。実は、他者を助けようとしている時、本来一番助ける必要があったのは自分自身であるということに気づいていませんでした。 

 

まだきっとあるとは思いますが、ざっと思いつくのはこれらのことでした。

 

今振り返ると、そういった些細な一つ一つの行動が自分の自尊心や自己肯定感の低さをさらに強化し、自分の存在価値を落としめていたのかもしれないと思いました。

 

いじめや差別を乗り越えるというのは、自尊心、自己肯定感が極限まで下がった後、それをどう取り戻すのか、そのドン底からいかに這い上がっていくかという過程を体験していくことでもありました。

 

それは、言葉を変えれば、一度失ったものを取り戻す体験でもあり、実はその中に多くの気づきや学び、感動がありました。

 

もしかすると、生前の私はそれを体験したかったのかもしれないとも思いました。

 

次回、これらをどのように変化させていったのかを少しずつ紹介していきます。

自尊心、自己肯定感が低くなる その1

私がいじめや差別を体験したことによって様々な後遺症がありましたが、その中の一つに、自尊心、自己肯定感が極端に低くなってしまったということがありました。

 

例えば、その頃の私は以下のような状態でいました。

 

1.自分自身の心身をケアしようとしない=自分に無理をさせてしまう
熱があっても無理をして仕事をしたり、自分の身体をケアするということを一切していませんでした。重い病気になって初めて休むという選択を自分にさせてあげるというようなことを繰り返していました。

 

2.頼まれ事を断れない
いつもイエスマンのようになっていて、頼まれ事を断れずに何でも引き受けていました。そのことで自分が後で大変な思いをするということがわかっているのに、我慢してそれに対応し続けていました。自分が断るとどこか相手が可哀想に思えたり、相手に機嫌を損ねられたくないという思いがあったからでした。

 

3.自分の意見を抑えて、相手の意見ばかりを尊重してしまう
実は内心自分はこう思うという意見を持っているにも関わらず、それを発言せず自分の中だけに留めていました。
さらに、そのことを「相手を立てていて良いことだ」とか、「周りの人にいい思いをさせてあげている自分は偉い」と、それをどこか「正しい行為だ」、「自分は良い人間なんだ」と思って肯定していました。
いつも本音を隠したまま周囲の人たちに合わせるような生き方をしていました。

 

4.相手に嫌われないように都合の良い人を演じてしまう
「2.頼まれ事を断れない」にも通じることですが、八方美人、長い物に巻かれるような生き方をしていて、自分の主義主張を出さず、誰にでも良い顔をしてどこか偽善者のような振る舞い方をしていました。

 

5.「すみません」が口癖になる
別に自分が何か失態をした訳でもないので、事あるごとに口から反射的に「すみません」という言葉が出ていました。これを言っておけば、他者から非難されずに済むという防衛本能が働いていたせいか、それがいつの間にか口癖になっていました。そのせいもあって、いつもおどおどしていて自信のない弱々しい姿になっていました。

 

6.何でも自分の責任と一人抱え込んでしまう=他者に頼れない
他者に頼み事ができず、自分でいつも一人抱えて大変な思いをして苦しんでいました。自分がどうにかするしかない、他者に頼ることはいけない、きっと頼んでも助けてもらえないという思い込みがあったためでした。

 

7.自分の存在に価値を見い出せない
自分の長所、良さ、得意なこと、魅力に気づいておらず、他者からそれを言われてもお世辞を言われていると感じて信じることができませんでした。そのため、常に自分の存在ややることに自信が持てず、どこか頼りない雰囲気になっていました。そして、なるべく目立たないように生きるということを人生の指針にしていました。

 

8.自分に魅力がないと思い込んでいて、異性を遠ざけてしまう
=女性の場合、お洒落に無頓着になり男性化する
自分の性に対しても自信がないため、それを磨くことに無頓着になり、さらに異性を遠ざけたり、避けるような言動を無意識に取っていました。内心パートナーが欲しいと思いながらも、自分を愛してくれる人なんてこの世にいないと半分諦めていて、独身を貫こうとどこか強がっていました。

 

次回「自尊心、自己肯定感が低くなる その2」に続きます。

スクールカウンセラーとの出会い その2

誰にも自分の悩みを相談できない、精神科の病院にも行けないという理由から、
自ら図書館で本を読み知識や治療法を得て、
自分で治すしかないということを思いました。

 

でも、本当に辛くてどうしようもない時、大学のスクールカウンセラーには無料で相談ができることを知り、初めて相談してみようという気が起こりました。

 

また、自分のことを全く知らない赤の他人で、カウンセリングが終われば二度と会うことがないという点も、恥を捨てて飛び込むことのできた理由の一つでした。

 

さらに、そのスクールカウンセラーの先生の粋な計らいによって、私でも相談することのできる条件がそろっていたからでもありました。

 

まず一つ条件だったのは、スクールカウンセラーの先生が女性であったことでした。
私は当時対人恐怖症の中でも男性恐怖症にもなっていましたので、先生が女性であるということにとても安心感がありました。

 

また申し込み方法にも細やかな配慮がなされていました。

 

相談室の扉の前に小さなテーブルが置いてあり、希望の相談日や時間の候補をいくつか書き込む専用の用紙とポストが設置されていました。その用紙に必要事項を書き込んだらポストに投函するだけで申し込みができました。

 

相談室の場所も、他の学生から目につきにくい、人気の少ない場所にありましたので、通りすがりにポストに入れれば、周囲にも自分が相談しようとしているということを気づかれずに済むと思い、それが非常にありがたかったのを覚えています。

 

また、そのスクールカウンセラーの先生は、私が投函した用紙を受け取った後、日時の調整を行い、当時携帯電話を持っていなかった私を気遣ってくれたのか、「用紙を受け取りました。〇月〇日〇時にお待ちしています」というような内容の書かれた手紙を自宅宛に郵送してくれました。

 

その手紙の封筒は、私と同世代の女性が使うような可愛らしい柄のもので、さらに手書きで宛名と、送り主であるスクールカウンセラーの先生の氏名だけが書かれてありました。

 

母がそれを自宅で受け取り、私に手渡してくれた時、母は私の友人から送られてきた手紙だと思ったのか全く不信に思われることはありませんでした。

 

そういったすべてのことによって、私が他の学生や家族に、自分がカウンセリングを受けようとしているという事実を全く気づかれずに済みました。

 

そうでなければ、きっと私はスクールカウンセラーに相談できなかったかもしれないと思えました。

 

相談を申し込む時や、相談日の連絡方法など、相談者が悩みを抱えていることを恥ずかしいと思い、家族にさえも知られたくないと思うだろうということが十分考慮されていました。

 

他者に全く気づかれないようにというとても細やかな配慮が予めなされていたことで、私は自分の悩みを初めて他者に相談するという機会を得られました。

 

本当に今でもその当時のスクールカウンセラーの先生の心遣いには心から感謝しています。

 

そして、カウンセリングは確か二回くらい受けたように思いました。
今まで誰にも話せなかった対人恐怖症に関する悩みを主に相談しました。

 

ただ、受け入れてもらいにくいと自分で判断したところは部分的に省き、
自分の許せる範囲で話せることは全部話してみました。

 

その途中、涙が溢れてきて話せなくなってしまってもそっと黙って、私が泣き止み再び話せるようになるまで辛抱強く待ってくれていました。

 

その時、スクールカウンセラーの先生は、ただ私の話を相槌を打ちながら優しくすべて受け入れるかのように聞いてくれました。

 

「そんなことない、それは妄想、思い込みだ、気にし過ぎだ」と言って否定することもありませんでしたし、「だったら、こうすればいい」という押しつけがましいアドバイスもしませんでした。

 

その距離感が絶妙で、私にはそれがとても心地良く感じられました。

 

私の話にショックを受ける様子も見せず、
ただ自然体にありのまま話を聞いてくれました。

 

そして、私の話から私が他者の言動がとても気になっていることを知り、
「もっと自分勝手に生きられればよいのにね」とだけ優しく言葉をかけてくれました。


そのカウンセリングでは、毎回終了時にこの先もカウンセリングを継続するかどうかを自分で決められました。

 

私は、人生で初めて自分の心の病について打ち明けられたことで、
少し心が軽くなっていました。

 

でも、どこかスクールカウンセラーの前でも、
良い子、迷惑をかけない子を演じる癖が出てしまっていました。

 

何度も通うのは迷惑なようにも思えたし、カウンセリングだけでは、自分の精神病が完全には治らないかもしれないということも何となく感じられました。

 

だから、二回程カウンセリングを受けた後は、
「だいぶ楽になってきたので、これで終わりにしようと思います。」と告げ、
感謝の意を伝えて、それ以降カウンセリングを受けることをやめました。

 

そして、再び自力で精神病を治す道を歩み始めました。

 

あの頃のことを思い返すと、相談者の心を隅々まで理解し、
配慮を徹底してくれたあのスクールカウンセラーの先生の思いやり、
心配りに今でも感謝の思いが湧きます。

 

もう今は名前も忘れてしまい、顔も朧気にしか思い出せませんが、
本当に素晴らしい先生に出会い救われたその体験が、ずっと今も私の心に残っています。

スクールカウンセラーとの出会い その1

私は大学に入り、精神病の症状が特にひどかった時期、
親に知られたくないという思いから精神科の病院に行くという
選択肢を自ら断ちました。

 

そして、自分の精神病のことを誰にも相談できずにいました。

 

自分がそのことを告げたら家族の恥になるのではないかという怖れがあり、
両親だけでなく、仲の良かった兄妹にすら相談できませんでした。

 

おそらく家族は私が言わなくても薄々察してはいたかもしれませんが、
はっきりと自分の口からは言えませんでした。

 

また、大学の講義が一緒の時だけ話す友人が一人、二人はいましたが、
身近に連絡を取る友人は一人もいなかったので、家族以外にも相談できませんでした。

 

そして、精神科の病院に行くことをそこまで頑なに拒んだのは、
そのことで自分が薬漬けにされるのではないかという強迫観念、思い込みがあったからでした。また、漠然と一度薬に手を出せば、それに依存してしまいそうにも思えて怖かったからでもありました。

 

私が大学一年生だった頃、大学には何とか無理矢理通っていたものの、
元気がなく家に閉じこもりがちで休日は何もせず家で過ごしていました。
そんな私を心配していた母は、自宅近くでたまたま見つけた花屋でのアルバイトを勧めてくれました。

 

それが私の人生初のアルバイトになりました。

でも、始めてまもなくクビになりました。

 

仕事の要領が悪く店長からよく注意を受けることが多かったこと、
アルバイトを始めて数回目の出勤時に、夕方からのシフトにも関わらず、
その前に昼寝をして寝過ごし遅刻してしまったからでした。

 

アルバイトに遅刻した日の翌日、
突然店長から「あなたはうちには合わないと思います。明日から来なくていいです。」という一本の電話があり、そのアルバイトの仕事はなくなりました。

 

その出来事を機に、私は自分自身がまったく仕事ができるような能力がなく、
また精神状態でもないとわかりました。

 

そして、母も半分諦めたのかそれからしばらくの間は私にアルバイトを勧めなくなりました。

 

アルバイトもろくにできない状態だったので、自分が自由に使えるお金はわずかでした。

 

私は、大学の受験時に真面目に勉強をせず、唯一受かった私立大学に入学したため、勉強する意欲もないのに親に高い学費を払わせていることに対して罪悪感がありました。

 

その時、親への負担を少しでも軽くしようという私なりの罪滅ぼしから、
教科書などの教材費や通学にかかる交通費は、
自分がそれまでお年玉などで貯めていた貯金から賄っていました。

 

アルバイトで収入を得る道も断たれていましたので
自分が自由に使えるお金はほんのわずかでした。

 

もし仮に精神科の病院に対するネガティブなイメージがなく、親に内緒で行けたとしても、その治療費を払うお金が自分にはありませんでした。

 

だからといって、親に精神科に行きたいと言い、治療費を払って欲しいというのは絶対に言えませでした。

 

すでに大学に通わせてもらっていることで、金銭的な負担をかけているのに、これ以上親に負担や迷惑はかけられないと思ったからでした。

 

両親に申し訳なくて、私の中では絶対口にしてはならない言葉になっていました。

 

次回、「スクールカウンセラーとの出会い その2」に続きます。

自分の道を切り拓く その2

自分の道を切り拓く、自分自身を確立するとは、
社会や他者からの物差しではなく、
私自身で自分がこの世に生きる目的や存在意義を意識的に付与するという意味です。

 

そもそも私たちの命は、存在している時点で、
すでに目に見えない大いなる存在の恩恵、愛に包まれていると言われます。

 

私がそのことを実感として感じられるようになったのは、
だいぶ大人になってからでしたが、たとえそのことに気づけない場合でも、
この世界で自分だけはどんなことがあっても自分を裏切らない、自分を愛する、
自分を幸せにしようと思いながら生き続けると誓うことができれば、
それはどんな状況においても自分自身を救うことに繋がります。

 

自分が属している環境、社会、世界だけにおける
周囲の反応、受け止め方、尺度で自分という存在を測ると、
やがてある種の限界がやってきます。

 

もしそこからはじかれたら、
最終的に死ぬしかないなんていう現実があってよいのだろうかとも思いました。

 

周囲や社会に自分を受け入れさせるために
行動を起こすという選択肢もありましたが、
それは単なる独善的な押しつけ、強要でしかなく、
無駄な努力に終わることも体験的にわかりました。

 

それはある意味で周囲の人たちの成長やタイミング、
人生の流れを無視するような行為であって、
無理矢理自分が正しいと思うことを周囲や社会に思わせることに
何の意味があるのだろうと思えました。

 

他者や社会(集合意識、集団心理)が何を受け入れ、どのように変化するのかは、
ある意味で自由であるという気がしたのです。

 

また、反対に周囲や社会の価値観に合わせて、
そこに迎合して生きることは、一時的には安心感は得られました。

 

でも、長い目で見た時に、本来の自分らしさを表現できないという圧迫感、閉塞感、
窮屈さ、生き辛さを感じることになりましたので、それも根本的な解決には至らないと気づきました。

 

つまり、どちらの道を選択しても
私が私らくしく生きられないという点では同じだと感じられました。

 

そこで、周囲や社会の影響を受けずに、
自分の存在意義、自分の人生の意味を自分自身が納得できるかたちで与えようということを思いました。

 

この世で繰り返し伝えられている普遍的なメッセージの一つに「自分を変えることが世界を変える」という言葉があります。

 

自分を変えるとは、周囲に合わせるように自分を変える、迎合するという意味ではなく、自分の根源的、普遍的な幸せに寄与するという立場に立った上で、自分を変化させるということなのだと思いました。

 

そして、自ら自分の生きる世界を創造する、
自分らしく生きられる道を生み出すという意味なのだと解釈しました。

 

例えば、たまたまこの世に誕生した先の世界、つまり時代や国、社会、地域、家族等の属する世界の中で、自分がある意味で虐待されたせいで、精神がおかしくなり、気が狂って自殺してしまったとしたら、その人生は一体何だったのかと思いました。

 

また、仮に自殺までには至らなかったとしても、反対に復讐心に駆られ他者を殺し、死刑もしくは終身刑で刑務所に入れられて死を迎えるという人生となっていたら、私はそれがあまりにも悲し過ぎて受け入れられないと思いました。

 

なぜなら、そのどちらの人生も私に起こり得たかもしれなかったからです。

 

まるで、自分の魂、命が、ただ押しつけられた人生を生かされ、
傷つくだけ傷ついて、塵のように捨てられただけのように思え、
そのことが無念でありただ悲しく、そして悔しいと思えました。

 

生まれてみたら、その世界に属せず死んで終わりという
バッドエンディングのストーリーはあまりにも虚しくてつまらないと思いました。

 

私は、そんな人生のストーリーを創造したくないと思いました。

 

そして、周囲のせいでそのような人生を歩まされることになったと恨みながら死んでいくのも腹立たしいと感じられました。

 

私はそんな風に生きる自分の姿を想像してみた時、どこか自分が許せませんでした。

 

「自分にはその現実を変えられるだけの力がある」と信じ、
そこから脱却する生き方を選ぼうと思いました。

 

私は自分の人生を自分の力ではどうしようもないものと諦め、
それに屈してただ受け身で生きるだけの人生にしたくありませんでした。

 

今振り返ると、私のもともとの気質に備わっていた、
プライドの高さや負けず嫌いの精神が、
ある意味で人生を切り拓く助けとなってくれていたのかもしれないと思います。

 

私は自分の人生経験から、
まず自分自身がありのままの自分らしさ、存在価値を認め、
それを生かす道を自ら模索していくことが、
人生を幸せに生きていく一歩になるのだということを思いました。

自分の道を切り拓く その1

この世界には沢山の種類のいじめや差別が存在します。

 

私の場合は、そのいじめ、差別を生むきっかけが単に生まれつきの体質、容姿、見た目といった肉体的な特徴の違いにありましたが、より広い視点に立てば、国籍、人種、性別、階級、学歴など様々です。

 

私は自分がいじめや差別を受けている当時、
どこかで私を受け入れてくれない周囲の存在や社会が悪いのだと決めつけていました。

 

そして、いつか周囲が心を変えて、もしくは社会が成熟して、
私に対する受け止め方、接し方を変えてくれることを願い期待して待っていました。

 

でも、結局そんなことをしていても、
自分の外部にあるものに自分を委ね、流されて生きることにしかならないのですが、
その当時私はそのことに気づけませんでした。

 

時が経つにつれ、いくら自分がその変化を待っていても
本当の意味で救われないと気づきました。

 

私の父は、幼い頃からよく私に対して
「何事も他力本願で生きるな。」と口を酸っぱくして言っていました。

 

おそらく今思えば、親という立場から私の性格を見抜いていて、
そのことを危惧していたのだと思います。

 

私はその父の言葉が後になってようやく理解できるようになりましたが、
それは私が陥りやすい性格的な傾向であることを教え、
人生を棒に振るような生き方をしてほしくないという親心が込められていたのだと
後に気づかされました。

 

いつしか、そんな周囲の変化や時代の流れという曖昧で不確かな、自分の意志ではどうにもならないものに自分の人生を預けるのは嫌だと思うようになりました。

 

そして、段々とそんな自分の生き方が無性に腹立たしくも思えてきました。

 

過去の歴史を振り返っても、確かに社会は徐々に成熟し、
ひと昔前まで受け入れられなかった価値観が時代の流れとともに当たり前のように受け入れられるようになってきていることもあります。

 

また、この世には心の冷たい人たちだけでなく、
愛に溢れる人たちも沢山いることも知っていました。

 

だから、愛のある人たちから助けられ、援助を受ければ、
一時的に私の人生は幸せになれると感じることができました。

 

 でも、それだけでは根本的な解決にはならないということも同時にわかりました。

 

誰かの優しさに甘えて生きていても、もしその人が自分の周りからいなくなったら、
また私は同じようにいじめられ、差別され孤独を感じて生きていかなければならないだろうと思えたからでした。

 

もっと根源的な部分で私はいじめや差別を乗り越え幸せを掴みたいと思い、
それを探すことにしました。


 
その時、初めて自らが主体性を持って社会で生きていく、
自分の人生に責任を持ち、自ら人生を開拓し確立する道を選ぼうということを思いました。

 

その方が自分を苦しみから救うには一番早いと考え、
実際そのことで自分らしい生き方、自分を生かす道を見つけよう、
そのために道を切り拓こうという心のあり方が、
その当時の現状を変化させる最も有効で効果的な手段となってくれました。

 

次回「自分の道を切り拓く その2」に続きます。