いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

新しい価値観を与える その2

5.「すみません」が口癖になる
→この口癖はなかなかやめるまでに時間がかかり、約15年近くもその口癖が抜けませんでした。

 

思い返せば、そのことを自覚したのは高校生の頃でした。


当時、高校の図書室によく通っていて、司書の先生と顔馴染みになっていました。
そして、その司書の先生が事あるごとに「すみません」と言っている私の姿を見て、「すみませんなんて言う必要ないのよ。何も悪い事なんかしてないんだから。」と言ってくれたことで、初めて自分がそれを無意識に使っているということに気づきました。

 

でも、その頃、いじめや差別の渦中にあり、自分自身がこの世に存在していることさえどこか負い目を感じるくらいにまで自己肯定感が下がっていました。そのため、そう指摘されてもその口癖をやめようとは思いませんでした。

 

いつも他者から攻撃を受けないように、とりあえず「すみません」という言葉を使うことで身を守っていた部分がありました。

 

その言葉を発している時の自分というのは、どこか弱々しい印象を他者に与えていて、「私はこんなにも弱い存在なの。だから、もうこれ以上私を傷つけないで。」という意志表示をしていたのだろうと思いました。

 

ただ、段々と成功体験を積み重ね、自己肯定感が高まっていくにつれ、「私は、なんですみませんなんて言ってるのだろう?別に何も謝るようなことをしていないのに。」と、無意識に口から出るその言葉に対して、自分でも段々と違和感、疑問のようなものを抱くようになっていきました。

 

さらに、そう言っている自分がどこか恥ずかしい、他者に媚びを売っているように思えてきて段々と嫌だなと思うようにもなってきました。

 

そして、意識的にそれを使うことをやめようと思いました。
やがて、いつの間にか気づいた時には、もう「すみません」という言葉を無意識に言わなくなっている自分がいることに気づきました。

 

自己肯定感が高まるにつれて、自分を弱く見せて他者からの攻撃を回避したり、身を守ろうとしたりする必要性がなくなってきたのと同時に、自然とその口癖がなくなっていました。

 

自分自身にいつも「すみません」と言わせるというのは、よく考えればとても可哀想なことを自分に対してしていると思えてきました。

 

何も悪いことをしていないのに、自らに非があるかのように常に罪悪感をに抱かせ、肩身の狭い思いをさせるというのは自分で自分を虐待しているのと同じことに思えました。

 

私は自分を愛するにしたがって、自分をそのように扱うことをやめていきました。

 

6.何でも自分の責任と一人抱え込んでしまう=他者に頼れない

→何でも自分の責任で一人で何とかしようとする癖があったため、要領が悪く必要上に時間がかかっていたり、自分の許容量を超えることを引き受けたため身体を壊したり、仕事においてミスを重ねたりしていました。
結果、求められている成果を上げられずに周囲に迷惑をかけてしまうことも増えていました。

 

それなのに、他者から「手伝おうか?」と言われても、その人に申し訳ない気がして断ったりもしていました。

 

でも、段々と自分の得意不得意がわかるようになり、できる量には限界があるんだということを知り、困った時は他者にお願いしたり、相談したりするようになりました。

 

そうやって限界まで自分にいろんなことを課した結果、もうどうにもならなくなって、必然的に他者に頼らざる得ないという状況に追い込まれたことで、初めてすべてを自分一人で何とかしようとする癖が少しずつ抜け始めました。

 

さらに、その分野が得意な人に任せた方が、短時間で質の高い結果を生み出せるということにも気づき、他者の特性、人によって何をお願いするのが適当なのかを意識して見るようになり、それを判断する目も養われていきました。

 

自分が得意なことは積極的に引き受け、苦手なことはそれが得意な人に助けてもらったり、アドバイスを聞きコツを教えてもらったりして、他者と協力して行うようにしていきました。そして、一人で抱え込んでやるよりもその方がずっと全体にとって良いということに気づきました。

 

自分の弱さ、不得意なことをはっきり認識し、助けてもらった時は感謝する心を忘れず持ち続けていたら、自然と困った時に何かしら救いの手が差し伸べられるという人生を歩めるようになっていました。

 

7.自分の存在に価値を見い出せない

→長い間、自分の長所や良さ、得意なこと、魅力が全然わからずにいました。それまでの人生の中で他者から褒められたことや、自分が得意だと自覚していたことはありましたが、それが極端に少なくどこか偏っていたようにも思いました。

 

そして、他者からたまに自分の長所を言われたりすると、「どうせお世辞を言っているんだ」と真に受けず、聞き流したりもしていました。

 

また、いじめや差別の体験から、目立つことへの怖れ、何か長所を持っていると妬まれて叩かれるのではないかという不安もあったため、どこか褒められると気持ちが落ち着かない状態になりました。

 

「私のことは放っておいて!」「良いことであっても、目立つのは恥ずかしいから嫌!」、「私は長所なんかないダメ人間なの!」と思い、隠れるように生きていました。

 

実際、褒められることに慣れておらず、「そんなことない」と謙遜していましたが、それは本心では「自分をそんな風に高く評価してやらないぞ!」と自分に対して思っていた節もありました。

 

自尊心や自己肯定感を高めるきっかけを他者が与えてくれていたにも関わらず、私はそれを自ら受け取ることを拒否していて、いつまでも自分のことを嫌っている自己嫌悪の塊のような役を演じ続けていました。

 

でも、段々と言われる頻度の多い褒め言葉や、今まで言われたことのなかった側面を褒められる機会が増えてくるにしたがって、「自分には実はそういう面もあるのかもしれない」と素直に受け入れられるようになっていきました。

 

また褒められれば、たとえそれを強がってつっぱねても、少し嬉しい気持ちはありました。それを自分にもっと感じさせてあげようと思うように変化し、褒められることに自然と慣れていきました。

 

最終的に他者の褒め言葉に対して、素直に「嬉しい」「ありがとう」と言える自分になっていて、他者は自分の知らない自分の良さを気づかせてくれているんだと思い感謝できるようになりました。

 

そしてそれを受け入れて、自分の長所や良さ、魅力をどんどん増やしていき、いつの間にか自分の存在に対してより多くの価値を見出せるようになり、自分を愛せるようになっていました。

 

8.自分に魅力がないと思い込んでいて、異性を遠ざけてしまう

→幼少期から自分が女性に生まれたということに対して、どこか違和感を感じていたので、それに拍車がかかっていたような状況に陥っていました。

 

「本当は男性として生まれたかったのに、何で女性なんだろう?」と神様をどこか恨む気持ちも抱いていました。

 

女性らしい服装をしたり、メイクをしたりすることに対して極端な生理的嫌悪感がありました。それに、どこかそういう女性らしい生き方をしている人たちを軽蔑して見ていたところもありました。

 

でも、本当は自分もそうなりたいのにその気持ちに素直になれず、欲しいものが得られない鬱憤を他者を軽蔑することで紛らわせていたとわかりました。
「自分は独身で生きる方が合っている、カッコいいんだ!」とさらに自分の本心とは真逆のことを思い強がって生きていました。

 

でも、周囲の人たちが、どんどんパートナーを持つようになっていったり、結婚し子どもを産んでいる姿を見ることが自然と増えていくと、自分の心境にも変化が生まれ始めました。


また、自分の年齢が上がるにつれて、周囲から「結婚しないの?」「あなたには独身よりも結婚の方が向いている」「早く結婚した方がいい」「男性を紹介してあげようか」などと言われる頻度も増えていきました。

 

さらに、ある時自分が一人旅をしている時、カップルがやたらに気になることがありました。
意識的には気にかけていないようにしているのに、どこか目を奪われている自分に気づきました。その時、私は自分の本心が楽しそうにしているそのカップルの姿を羨ましく思っているということにうっすらと気づきました。

 

それまで、私はずっとパートナーなんかいらない、自分のことを愛してくれる男性なんてこの世にいないと頑なに思っていたので、そういう人を意識的に探そうとしたり、出会いの場に行くということをしていませんでした。探す前からもう無理だと諦めていました。

 

そうやって女性として生まれた喜びや楽しみを一切自分に与えないように無意識に行動していました。

 

でも、ある時、思いがけない形で運命的な男性と出会い、自分は本当はパートナーが欲しいと思っていたこと、結婚したいと思っていたという本心が堰を切ったように溢れ出しました。
もうそれは抑えきれないくらい強烈なもので、これまで自分が自分に嘘をついて蓋をしていたことがすべて明かされ、自分の本心と否応なく向き合わされることになりました。


そして、少しずつ自分の気持ちに素直になって、本心の願いを解放していくようになると、「自分もパートナーを持っていい」、「結婚して幸せになっていい」と思えるようになりました。

 

それ以降、より一層自分の女性らしさを磨くことに取り組み始め、女性としてたった一人の男性に愛されることの喜びや幸せを感じることができるようになりました。

 

次回「新しい価値観を与える その3」に続きます。

新しい価値観を与える その1

以前、こちらの2つの記事で、自尊心、自己肯定感が極端に低くなってしまった時、どのような行動を取って生きてしまうのかということについてお話させていただきました。

 

syakadou77.hateblo.jp

 

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それらを塗り替えていく過程で、私がそこにどんな新しい価値観を与えていったかを参考までにご紹介させていただきます。

 

必ずしもこう思わなければ変われないという訳ではなく、別の何か大きな価値観の変化が起こったことによって、相乗効果的に一気に複数の項目がまとめて消えていく場合もあります。

 

また自分が納得できる価値観の方がそこから脱却できる助けとなる場合もありますので、これらは私が行った一つの例としてお読みいただればと思います。

 

1.自分自身の心身をケアしようとしない=自分に無理をさせてしまう

自分の心身をまず第一に考えることが最も大切だと思うことにしました。私はある時ふと「自分を大切にできない人は、きっと他者も大切にできないのではないか」という風に思えたからでした。

 

実際、私は無意識に自分自身を扱うやり方で、他者に対しても接してしまうということがありました。

 

また、「自分はこんなにも他者に尽くしているのに、何で周りは自分に何もしてくれないの!」と事あるごとに怒りや不満が沸き起こることもありました。
その時、「だったら初めから、自分を犠牲にしてまで尽くさなければいいのに‥‥」という当たり前のことを思いました。

 

そして、その後は相手に何の見返りも求めずに心からやりたいと思えることだけをするという風に徐々に変化していくようになり、そういった不満を抱えるということも解消されていきました。

 

自己犠牲によって他者に尽くしても、それは本当の意味で奉仕、貢献にはならないということがわかりました。自分を十分に満たしてから、初めてパワフルな最高の状態で他者に対しても何らかの手助けができるのだと思いました。

 

もし自分自身の心身をケアしないでいると、自分がまずそのことによって肉体的にも精神的にも苦しみますが、その周囲にいる他者もどこか私のことを心配していたり、私のケアをしようと意識を向けるため、その相手の時間やエネルギーも奪ってしまうということに気づきました。


特に家族など身近な人にその影響が強く現れるということもわかりました。

 

実際、無理している人のそばにいると、その人をカバーするために自分も無理しなければならないということが重なり、自分が無理をするとその負の影響が周囲に広がっていることに気づきました。

 

心身のケアはまず自分自身のためにも必要ですが、他者にとっても自分のことは自分でしっかりと管理できるという安心感を与え、自立した人として見てもらえるという点で大変メリットがあるということにも気づきました。

 

また、自分を粗末に扱っている人よりも、自分を慈しんで大事に扱っている人の方が接していて好感が持てます。そういう人と接すると、きっと自分も大切にしてもらえるのだろうなという印象を自然と持つからです。

 

自分を愛し大切にするということはナルシストという意味ではなく、生きる上での基本、基盤、根幹をなすあり方であるということを思うようになりました。

 

2.頼まれ事を断れない

4.相手に嫌われないように都合の良い人を演じてしまう

→頼まれ事を断れないと、他者に私の境界線を誤って認識させることに繋がり、結果的に要求がエスカレートしていくということがわかりました。

 

無理して引き受けたのはよいものの、相手の望むような成果が与えられなかったとしたら、それは相手に対して失礼にあたります。
また、もし無理して引き受けたのに、感謝されなければ自分も不満が募る一方で悲しいだけです。

 

「できなことはできない」、「ここまでならできるけれど、これ以上は無理」とはっきりと主張することは、実は相手のためにもなっています。

 

もし私が無理して引き受けなければ、その人は自分でやるか、別の人に依頼して私が行うよりもよりよい結果を手にしていたかもしれないからです。
何もかも自分が頼み事を引き受けるのではなく、断ることも実は相手のためになるということに気づきました。

 

頼み事を断ると相手に嫌われそうで怖いと思ってしまう時は、それで嫌われるのなら仕方がないと開き直ることにしました。そういう人はそういう風に相手を判断する人なんだとただ受け入れました。

 

でも、一方でたとえ断ったとしても、それを気にもとめず普通に受け流してくれる人もいましたので、それは相手の感じ方、受け取り方の違いであって、私が断るから嫌われるのではないんだということもわかりました。

 

段々と自己主張をしていけば、「この人はこういう人なんだ」「ここまでは受け入れてくれるけれど、ここからはダメなんだ」と相手がちゃんと自分の境界線を認識してくれるようになります。

 

そうすれば、自然と無理な依頼も減ってきて、頼まれ事を断る以前に自分に合わない、必要のない頼まれ事がやって来ることが減り、自然と快適に過ごせるということもわかりました。

 

自己主張をすることは自分を守るためでもあると同時に、広い視野で見たとき相手のためにもなっていると思うようになりました。

 

3.自分の意見を抑えて、相手の意見ばかりを尊重してしまう

ある時、話し合いの場で私はいつものように自分の意見を黙ったまま、周囲の意見ばかりを尊重していました。その結果、その話し合いが一行にまとまらず、ずるずるとただ時間だけが過ぎいくということが起きました。

 

最終的にその状況に嫌気が差し、初めて自分の意見を発言することで、それまで停滞していた流れに少しの変化が生まれました。

 

他者の意見ばかりを尊重していると、もしそれが偏った方向や堂々巡りに陥っていた場合、その責任を共に背負うことになるということがわかりました。
結果として自分もその泥船に乗ることになり不利益を被りますが、同じ場にいる他者にとってもそれは不利益になるということを思いました。

 

自分自身のためだけでなく、他者のためにも自分の意見を伝えることは、新たな気づきを生んだり、状況を改善する一つのきっかけになるということがわかりました。

 

もしそういった意味がなくても、自分の意見をしっかりと持ち、主張できるとうことは自尊心を保つ上でもとても重要だとわかりました。

 

また、もう一つ自分がその行動を改めてなくてはと思わせられる象徴的な出来事がありました。

 

ある時、私はある人の行ったミスに気づき、もっとこうすればいいのになと思ったことがありました。でも、それを指摘するのは相手に悪いという気がして、何も言わず黙って見過ごしてしまいました。

 

すると、そのミスがそれよりも大きなミスになって発覚し、その人が上司にひどく怒られてしまうという出来事に発展してしまいました。

 

その様子を見た時、私が気づいた小さなミスのうちに、その人にそのことを伝えてあげていれば、大事にもならずさらにその人も上司に怒られずに済んだのにと、どこか自分が見過ごしたことに対して申し訳ない気持ちになりました。

 

その出来事は私の中で印象的なものとして残り、自分の意見を軽く見ずに大切にすること、必要であれば言葉に配慮しながら、そのことを伝えることは相手のためになるということを思いました。

 

そういった経験から、私は自分の感じたこと、思ったことを邪険に扱わず、それには何らかの意味があると思うようになり、自然とそれを尊重し伝えることができるようになっていきました。

 

自分のことを軽んじ他者だけを尊重することは、最終的に周囲にとってもマイナスになるということに気づき変化することができました。

 

次回「新しい価値観を与える その2」に続きます。

現実的な行動を合わせる

前回までの記事を通して、
自分自身が心の底で何を信じているかということを把握し、
それを塗り替えることについて紹介させていただきました。

 

そして、その上で「現実的な行動を合わせる」ということも
同時に重要だということを伝えたいと思います。

 

例えば、私の場合、それまで勤めていた会社を辞めて
よりよい転職先を見つけるために、
やみくもにそれを探した訳ではありませんでした。

 

過去の経験を振り返って、何をしている時が楽しいと感じられたかを
もう一度洗い出してみることにしました。

 

そして、それに少しでも近い仕事を選び、
さらに何か自分の強みを持ちたいという思いから
資格の取得に向けて勉強を始めました。

 

さらに実地での経験を積むために、
それまでの正社員の職を捨て、
これから就きたいと思っている仕事のアルバイトも始めました。

 

資格を取得することは、仕事の幅、選択の自由、自分の可能性を広げるという意味でとても重要ではありましたが、何より自分がそれを通して自分自身に自信が持てるようになったということが最も大きな恩恵、助けとなってくれました。

 

資格取得に向けて勉強をし合格するという体験は、
自己肯定感を高める上でとても良い一つの成功体験、達成感となったからでした。

 

その経験があったからこそ、
自分は「やれば何でもできる!」という自信に繋がりました。

 

また、未知の世界、新しいことに挑戦することへ怖れがそれまでよりも薄れ、
さらに自然と他者からの評価も上がっていきました。

 

その当時、取得した資格を生かした新しい仕事が決まった後、
数年ぶりに古い友人と再会する機会がありました。

 

その友人と会って初めて言われた一言は、
「以前よりもなんか輝いて見えるね。自分に自信があるみたい。」という言葉でした。

 

その時はまだ、私は自分の内面的変化に気づいていませんでしたが、
他者の目からはすでに私の姿が変わったと映っていたようでした。

 

そして、その言葉によって、
私もいつの間にか自分が自信を身につけていたということに気づかされました。

 

その経験から、現実を変えるためには信念を変えることももちろん大切ですが、
それに合わせて自分自身が行動を起こすことも重要だとわかりました。

 

ただ信念を塗り替えたと思っていても、
実は変わり切れていないという場合があるので、
よりそれを確実なものとして強化するために、
自分の行動もそれに伴わせるということが
とても大事になってくるということがわかりました。

 

それは自分自身に対する許可証という意味でもありました。
「自分自身が~をすれば、それを受け取っていい」
と思えることを自ら行うという意味です。

 

どれだけのことをすればその許可を自分自身に与えられるのかは
人それぞれ異なります。

 

極端な話ですが、例えば「私は宝くじを当てていい」と思ったとします。

 

でも、大抵の場合は、

 

「当たるはずがない」
「当たったら後で不幸になりそう」
「自分が堕落してしまいそうで怖い」
「お金目当ての人が近寄ってきそう」
「何もせず大金を得るのは罪深い」
「~のテクニックを使わないと当たらないだろう」
「これまで一度も当たったことがないので、多分無理だろう」
「私は運がない」

 

などといった様々な信念も同時に重なるよう持っているため、
多くの人はそれを手にすることを自ら拒否して、
宝くじが当たらないという現実を体験しています。

 

でも、何の信念も罪悪感も先入観、期待も持たずに
「宝くじを当てていい」と思えると本当に当たる場合があります。

 

欲のない幼い子どもにくじを引かせると
景品の当選確率が上がる例とよく似ています。

 

つまり、ただ状況が変わるのを待っているだけでは、
現実は変わりません。

 

自分自身が信念を書き換えることを許す、
それまで頑なに持ち続けてきた信念を手離すことができなければ、
現実は変わらないということがわかりました。

 

そして、信念を変わったかどうかを判断する目安として、
自然とそれまで繰り返してきた自分自身の行動に変化が見られるようになってきたかどうかを見ればわかります。

 

信念を塗り替えると決めた後は、
そのために自分自身の行動を意識的に合わせて行くことが何より肝心です。

 

「信念を変える」
 ↓
「行動を変える」
 ↓
「現実が変わる」

 

という3ステップがあるということが自分の体験からわかりました。

 

このことを一度でも体験してみると、コツが段々と掴めてきます。

 

他者からの話を聞くよりも、まず実際に自分の中でできそうなことからそれを体験し、実感として感じることが何よりの学びとなると思います。経験に勝るものはありません。

 

そして、一度成功体験を味わうと、二度、三度とそれが重なっていきます。

 

もし何か今の現実に不満があるとしたら、
このことを思い出していただければと思います。

信じていることを塗り替える

自分がそれまで生きていく過程で身につけた、刷り込まれた、親や周囲の他者から言われて信じてきた信念、価値観、評価、思い癖、固定観念、社会通念、過去の経験から導き出した予測などといったものを少しずつ塗り替えていきました。

 

例えば、「私は幸せになってはいけない」という思いが本心、根底にあったということに気づいたら、「私は幸せになっていい」と思うことに決めました。

 

実は、この書き換え、塗り替えを行えるのは本人のみで、他者はその決定権を持っていません。

 

でも、ここでこんな心の声が聞こえてくることがありました。

 

「あなたがこれ以上の幸せになるなんておかしい。周りにはもっと苦労している人たちがいるのにずるい。」

 

「過去にあなたが他者を傷つけたことに対する罪滅ぼしとして、このままでいることがちょうどいいんじゃない?」

 

「何もしないで幸せになれるなんてあり得ない。」

 

「もしあなたが幸せになったら、きっと悪いことが起きるよ。」

 

「幸せになったら他者から妬まれて、きっと引きずり降ろされるよ。」

 

「これくらいの幸せで満足しておいたら?今でも十分幸せじゃない?」

 

「あなたになぜその資格があるの?」

 

「前世であなたは人を殺しているのに、今世で幸せになって言い訳ないじゃない!」

 

「あなたのせいであの人は苦労しているのに、あなただけ幸せになっていいの?」

 

「あなたの容姿や性格、能力、過去の体験にはこんな欠点がある。だから、幸せになんて絶対なれないわよ!」

 

など、これはほんの一部を例えとして紹介しましたが、
自分を幸せにしてはいけない理由というものを挙げようと思えば、
いくらでもこのように一見もっともらしい意見が浮かび上がってくるのです。

 

でも、これらすべてはエゴの罠、エゴが自分をを騙そうとして仕掛けていると詭弁であるということがわかりました。

 

実はそうやって幸せになることさえ阻もうとする
エゴが誰の心の中にも潜んでいるのです。

 

このことに対処するためには、
それらをすべてに対して反論できる信念を自らが強く持つということです。

 

幸せになっていけない理由がこれだけ思い浮かべられるということは、
反対に幸せになっていい理由も同じように思い浮かべられるということです。

 

あなた自身がエゴの声、それとも自分の願い、
どちらを信じるのか、採用するのかによって現実が変わってきます。

 

エゴの声に耳を傾けて、
自分の持つ現実を創造する力を預けてしまわないようにすることが大切です。

 

エゴはあなたがその声を受け入れ採用しない限り、
影響力を持つことができないからです。

 

「幸せになってはいけない」という思いが少しでも浮かんだら、
「幸せになっていいんだよ。だって、私が幸せになったら、こんな沢山いいことがあるんだから。」と言い返せると、もうエゴに左右されることがなくなります。

 

「私は幸せになっていい」
「この世で幸せになることが私の最大の責任」
「私が幸せになると周りがもっと幸せになる」
「私は幸せを受け取るのに相応しい存在だ」

 

と自分自身に何度でも言ってあげて下さい。

 

どう思うかは自由で、最終的に決められるのは自分自身です。
この世はあなたが信じた通りの現実を体験する場所になっています。

 

だとしたら、不幸を体験するよりも幸せを体験することを選んでもよいのではないでしょうか?

 

私は最終的にそこを塗り替えることで、
それまで感じたことのなかった幸せを享受できるようになりました。

 

どうかこの話が何かの気づきになれば幸いです。 

今の状況のメリットを把握する

私は自尊心や自己肯定感を徐々に上げていく過程で、
いくつのかの障害が目の前に立ちふさがりました。

 

例えばその一つは、それまで抱えてきたコンプレックスを
どこか手離せずにいる自分がいるということでした。

 

一見コンプレックスをすぐになくしてしまえば、
状況が改善されるように思いましたが、
実はそのコンプレックスを持つことで
自分が多くのメリットを得ていたという事実に
気づくことになりました。

 

私は表面上は自分のコンプレックスを必要ないと感じていましたが、
心の奥の自分はそれを持つことが自分自身の身を守るために必要だと
思っていました。

 

心の奥にある本心が現実に作用しているため、
当然そのコンプレックスを抱えたまま生きるという
人生を歩み続ける結果となっていました。

 

つまり、コンプレックスをデメリットとしてみるのではなく、
それを持つことでどんなメリットを得ているのかを
思いつく限り挙げてみて把握するということが
重要になってくるということがわかりました。

 

例えば、私が精神病を抱えていた当時、
表面的にはそれを早く治したいと思っていました。

 

でも、心の奥の自分はそれを嫌がっていました。

 

なぜなら、それがないと行動範囲を狭めて、
最低限の人とだけ付き合う口実にできなくなるからでした。

 

私は過去にあったいじめや差別という体験から、
対人恐怖症になり、
人と接することに極度の怖れを抱くようになっていました。

 

そのため、その辛い思いを二度体験したくない、回避するためには
精神病を持つことで、人と接することを避けようと
実は私自身がそれを利用していたということがわかりました。

 

また、本当の意味で幸せになることに対しても怖れがありました。
どこか自分なんかが幸せになれっこない、
幸せになるなんて身に不相応だと思っていたところがあり、
その信じている通りにそれが現実となって現れ、
精神病を抱え苦しみながら現実を生きることに繋がっていました。

 

そういった裏にある自分の本音、本心をまず自分自身で把握しないと、表面的なことを変化させても、また同じような状態に陥ってしまうということがわかりました。

 

そして、それを本当の意味で変えることを自分自身が許可しない限り、現実は変わらないということもわかりました。

 

やはりどんな時も状況を変化させる鍵となるのは、
外側に見える他者や状況、環境ではなく、
自分自身が何を望み、信じているかであるということでした。

 

自分がその変化を受け入れる覚悟ができた時、
本気で変えようと思えた時、
それまで抱えてきたものを手離してもよいと思えた時、
初めて自分自身が変わることができ、
自ずと人生が好転していくのだということを私は経験から学びました。

自分の心身をケアすることから その2

私は自尊心や自己肯定感が低かった頃、
自分が女性であるということをほとんど無視していました。

 

例えば、服装は機能性ばかりを重視して選び、
茶や紺、黒など地味な色合いのものを好んで着ていました。

 

特に鮮やかでカラフルな色合いのものや
女性を象徴させるようなピンク色は、
絶対に着たくないとさえ思っていました。

 

もちろんスカートやワンピースなどはもってのほかで、
恥ずかしくて着れず、
毎日パンツスタイルでお洒落とは程遠い生活をしていました。

 

また、美容にも関心がなく身体のケアも全くしていませんでした。

 

女性なら当たり前にしている基礎化粧もほとんどせず、
普段からノーメイク、日焼け止めも全く塗らずに過ごしていました。

 

入浴後、髪をドライヤーで乾かすということもしていなかったので、
いつも髪は傷んでいてゴワゴワ、
手足は乾燥したままでガサガサ、ひび割れは日常茶飯事の状態でした。
そのせいで痛みがあっても我慢していて、なぜか保湿ケアをしませんでした。

 

そういった自分自身のケアに対して全く意識が向かず、
そこに手をかけたりすることが
どこか気恥ずかしく思えていたからでした。

 

さらにそういったことをすると、
調子に乗っている、色気づいていると周囲から思われるのではないかという怖れもあり、あえて無頓着に振る舞っていた部分もありました。

 

当然そんな風に日々を過ごしていたので、誰一人異性と交際するということもなく、
パートナーを持つということ自体にあまり関心がありませんでした。

 

いつも自然と男性の少ない職場環境を選んでいたり、たとえ友人から紹介したい男性がいると言われたり、合コンなど出会いの場に誘われてもすべて断っていました。

 

端から自分を愛してくれるパートナーは存在せず、
独身を貫くしかないと諦めていた部分がありました。

 

また対人恐怖症の中でも男性恐怖症だった名残りが
自分をそう仕向けていたのかもしれないとも思いました。

 

女性の場合、自尊心、自己肯定感が低くなると、
自分の女性性(女性らしさ)を封印してしまい、
男性化していくということが自分の経験からわかりました。

 

女性だからこそ体験できる人生の喜びを自ら拒否し、
それを全く感じることのない狭い世界を無意識に生きてしまっていました。

 

そして、男性が自分に近づく隙を一切与えず、
完全に鎧で身を固めてしまっている状態に陥っていました。

 

でも、やがて私が自分の女性としての喜びや幸せを奪っているということに気づき、
徐々にそれを改善させていくようになりました。

 

まず女性としての身体のケアを意識して少しずつやるようになっていきました。

 

慣れない最初の頃は、やったりやらなかったりという日々が続いていましたが、
段々と習慣化するようになると、もうそれが当たり前、
むしろやっていないことの方が不自然とまで思えるように変化していきました。

 

また、それを実際やってみたら、周囲は自分のことなんか全く気にしておらず、
それまで抱えていた「調子に乗っている、色気づいていると周囲から思われるのではないか」という怖れが幻想であったことにも気づかされました。

 

自分を縛りつけたり、行動に制限を与えたりしていた考えや想像は、すべてエゴの罠であって、自分を不幸な状態にとどめておくためのまやかしだったのだとわかりました。

 

そして、最終的に「女性として生まれたことをもっと生かして、幸せを感じていいんだよ。」と自分に言ってあげられるようになり、
それまでの人生とは真逆の世界を生きられるようになっていきました。

自分の心身をケアすることから その1

私は社会人になった後、自尊心、自己肯定感が低かったため、
「自分自身の心身をケアしようとしない=自分に無理をさせてしまう」
という状態が続いていました。

 

例えば、仕事が忙しく残った仕事を家に持ち帰ったり、たまに会社に泊まって徹夜をしたり、3~4時間の睡眠時間で数か月間も仕事をし続けたりするという日々を送っていました。
また休日はそのせいでどこか出かけようという気力も起こらず、体力の回復のために家で過ごすことがほとんどでした。

 

また、深夜近くでも休日でも関係なく仕事の電話が入ることもあり、仕事とプライベートの境界線が曖昧で気の休まる時がなく、とてもストレスフルな状態でした。

 

そういったことが積み重なり、家に帰ってから母に愚痴や不満を漏らすことも多かったのですが、いつも転職するという勇気は持てずにいました。会社の不満は口にするのに辞めないという優柔不断な状態がしばらく続いていました。

 

度々転職したいという思いは起こっていましたが、次に勤める転職先が見つからないという不安や周囲からの反対もあり、その仕事環境の中で恵まれている点を見つけては、まだここにいた方が安心だと思ってずるずると居座り続けていました。

 

そして、日頃の過労が祟ったせいか、病気を発症し手術一歩手前まで悪化させてしまいました。
またその時も休みを取れず、病院で診察を受けて痛み止めを処方してもらい、午後から会社に出社し、本当に自分に鞭を打って働かせていました。

 

それでも、変わらずに仕事を続けた結果、ある日、朝パソコンの前に向かった瞬間、手が突然動かなくなるということが起きました。

 

自分の意志では動かそうとしているのに、指先から腕全体がまるで固定されたかのように全く動かなくなりました。しばらく深呼吸して心を落ち着けてから再び動かそうとしたら元通りになりましたが、精神的、心理的なものが原因かもしれないと察しがつきました。

 

その出来事を機に、自分の心と身体がもう限界に来ている、SOSを発しているということがようやくわかりました。

 

最終的に、もうこれ以上自分に無理はさせられないという気持ちになり、後に転職するという道を選ぶことになりました。

 

ただ、そこに至るまでに散々自分の心身を痛めつけていた自分がいました。

 

また会社を辞める際も、上司や家族からの反対を受けました。上司からは「逃げている」という言葉まで言われましたが、私の心は怒りと悲しみで溢れていました。

 

「こんなに身体を壊す程働いているのにそれでもまだ働けっていうの‥‥。」と。

 

その時、「周囲は好き勝手言うけれど、一番犠牲になっているのは私だ。周りは自分のことしか考えてない。自分の苦しみを理解し、自分をこの状況から救えるのは自分しかいない!」と思うことで気持ちを奮い立たせ、誰が何と言おうと転職すると決めました。

 

「自分のことを誰よりも一番に大切にしよう。優先してあげよう。」とこの時初めて強く思えました。

 

そして、会社には転職を告げてから、後は何とかなると信じて次の転職先を探し始め、両親にも事後報告で辞めることを伝えました。

 

その体験を振り返ると、自尊心や自己肯定感、そしてここでもすべて自分に対する自己愛が欠けていたため、そのような環境に長く身を置いていたということがわかりました。

 

自分の中で沢山の仕事をこなさないと評価されないという強迫観念もどこか持っていたため、自分を忙しくさせていたのだとも思いました。

 

限界に来るまで無理をさせ、初めて自分の心身の状態に目を向けるというのも、日頃どれだけ自分をないがしろにしていたのかということがよくわかりました。

 

本来は小さな警告やSOSに気づいて、その状況を改善させることがベストだったのだろうと反省もしました。

 

やがて、そういった経験や反省からどんどん自己愛が高まるにつれ、自分はこれ以上は辛いな、無理をしているなということが敏感に感じられるようになりました。その線引きを周囲に対して少しずつ主張したり、自分が心地よいと感じられないことは積極的に排除するようになっていきました。

 

仕事も自分が全部抱えて必死になってやらなくても、周囲がそれをカバーしてくれたり、助けてくれたりするという場面も増えてきました。

 

今まで自分を無理させていた時、「全部自分でやるから助けないで!」というプラカードを掲げていたんだということにも気づきました。

 

周囲に何かを反対されたり、助けてもらえなかったりするという現実が起きていたのは、自分自身で助けを受け入れることを許せなかった、どこか心の奥で拒否していて、自分はそれを受け取るに値しないと思い込んでいたからだったと気づきました。

 

自分が自分自身をどのような存在と見ているか、評価しているか、普段どのように自分を扱っているのかということが、周囲の現実、他者からの反応、環境としてはっきりと示されていました。

 

私はその後も転職を何度か経験しましたが、その度に自分が心地よく働ける環境、勤務時間、仕事内容、報酬などというものがより一層鮮明になっていき、徐々にそれに合った望むものを手にしていけるようになりました。

 

そのことから、まず生きる基盤である自分自身の心身の声に耳を傾け、自分を一番大切に扱うということから始めてみるのがよいと思いました。

 

次回「自分の心身をケアすることから その2」に続きます。