いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

接し方について学んだこと

私は、自分がいじめを体験したことによって、
それまで知らなかった様々なことを学ぶことができました。

 

その一つに接し方というのがあります。

 

いじめにあっていた当時、
私に対していろいろな人が異なる反応、接し方をしていました。

 

例えば、私をただ差別し、いじめる人たちもいれば、
反対に私に同情し、憐れみから優しく接してくれる人もいました。

 

でも、私に対して何の先入観も持たず、
ただの一人の人間として接してもらえた時が何より嬉しいと感じていました。

 

自分が誰かに憐れみをかけられる存在になるということは、
漠然と相手が上の立場であり、自分が下の立場にされているという感覚を抱きました。

 

どこか馬鹿にされているような、プライドが傷づく感覚がありました。

 

それに、相手の優しさに負い目を感じ、
申し訳ないと思う気持ちも同時に起こりました。

 

その優しさに応えようと、
無意識によく振る舞おうする行動や反応を取ってしまうこともあり、
優しくされる度にやはりどこか自分らしくはいられず、
窮屈で生き辛かったことを記憶しています。

 

さらに、そういった情けをかけてくれる人を目の前にすると、
私はとても卑屈な気持ちになっていたので、
自動的に可哀想な自分を演じさせられているようにも思え、被害者意識を持ちました。

 

憐れみを買うような役を演じることを強要されているような変な感覚に陥り、
人の優しさを素直に受け取ることができませんでした。

 

また、当時の私は周囲を僻む心や猜疑心があったので、
勝手に人の表面的な優しさは見抜くことができると信じていました。

 

いじめられている人にはこう接した方がいいという、
固定観念というか、誰かから教えられた刷り込みによって
ただマニュアル通りにそれを実行している人もいるように思えました。

 

その行為には感謝の念は抱きましたが、
どこか上っ面だけの優しさのように思えて、愛や思いやりが感じられませんでした。

 

その人の行動と本心のずれを直感的に感じられたので、
どこか偽善的だと思って見ていたように思います。

 

また、私と会話する時になぜかいつもと違う、
違和感を感じる人も中にはいました。

 

表面上は私に好意的に振る舞ってくれてはいるけれど、
陰で悪口を言っているなということが直感で感じられました。

 

すると、この人は信用してはいけないと心が警告を発し、
一定の距離を保ってその人と最低限だけ関わったりすることもありました。

 

当時、人の裏の顔を嫌でも察知してしまうような変な感覚がありました。

 

その時、私はそんなことをされるくらいなら、
逆にはっきりと自分に対する嫌悪感を表現してもらった方が気持ちがいいし、
潔いのにと正直思っていました。

 

さらに、自分を善い人間だと思いたいという欲求を満たすためや、
周囲からの自分の評価を上げるため、自分の優越感を満たすために、
私に手を差し伸べようとする人もいました。

 

一見相手を思いやっている行動のように表向きでは見えていたかもしれませんが、
実際それはされている私にしてみれば、
結局自分のためにそれを行っているんだと感じられたので、
とても虚しく悲しい気持ちになりました。

 

そういう経験を重ねていくうちに、
ある時、私は一番心地よいと感じられる接し方と出会うことになりました。

 

それは、私の容姿など意に介さず、何事もないかのように
普通に接してもらうことでした。

 

次回「嬉しい接し方」に続きます。