いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

二重の悲しみ その2

私は常に心の中ではできる限り、
両親の期待に応えたい、自慢の子でありたいと思い、
優等生、良い子を演じ続けていました。

 

それもあって、どんなに辛くても
小学校、中学校、高校、大学とほぼ毎日休まずに通っていました。

 

本当は学校に行きたくない日もありましたが、
理由もなく休みたいと言えば、両親をすごく心配させるか、
もしくは怒らせるか、行きたくないと言っても
絶対無理矢理行かされるだろうということが想像できたので、
登校拒否という選択肢は自分にはありませんでした。

 

仮病を使う手もありましたが、親に嘘をつくのはいけないという信念があり、
そのことで罪悪感を感じたくなかったので、それは絶対にしませんでした。

 

私は小学生の頃から皆勤賞で表彰されるくらい、
身体は丈夫でほとんど体調を崩すことのない子どもだったので、
体調不良を理由にした休みを取ることもほぼ不可能でした。

 

そして、家族に必死で悟られないように、平然と過ごしていました。

 

どんなに辛くても我慢して学校に行くことが、
両親に心配をかけない一番良いことだと信じていました。

 

そして表面上も普通に振る舞うことで、
その事実を必死でばれないように隠していました。

 

辛い時、悲しい時こそ、それを悟られないように嘘の笑顔を作ったり、
家で一人泣く時は声を押し殺して泣きました。

 

夜中にみんなが寝静まったのを確認してから
布団の中でひっそりと泣くこともありました。
そうやって絶対に泣いている姿を誰にも見せないようにしました。

 

また、私は学校でも泣きませんでした。

 

人前でも泣かなかったのは、
いじめる人は私がたとえ泣いたとしてもその攻撃をやめないと知っていたからでした。
泣いたらきっともっと冷やかされて逆効果になるだろうという気がしました。

 

また悔しさから絶対にいじめる人の前では泣かないと心に決めてもいました。
「自分の涙なんか絶対見せるもんか!」という思いをずっと持ち続けていました。

 

それに、いじめられて泣くという行為が自分にとって
弱さ、負けみたいに思えて悔しかったからでもありました。

 

自分は絶対に屈しない、負けないという思いがあったので、
悲しくても泣くのを我慢できました。

 

そうやって日々我慢して生きることが
両親にできる私自身の最大の親孝行であり、恩返しであると信じていました。

 

私は当時、自分の存在を両親から生み出された商品もしくは分身のように
思っていたのかもしれないと思います。

 

他者から受け入れられる、必要とされる、
大事にされる、愛される存在であることが、
しいては両親に対して満足や幸せを与えることに繋がると信じていました。

 

だから、その真逆である自分の姿を
知られるということは絶対に許されなかったのです。

 

そういう意味で、差別を受けていた時に感じた悲しみは
自分一人だけのものではありませんでした。

 

私が嫌われるということは、
私を誕生させた両親も嫌われる、共に家族として過ごした兄妹にまで
何かしら悪影響が及ぶような気がしました。

 

自分の存在のせいで、全く関係のない家族までもが
そのとばっちりを受け、一緒に責められているような気持ちになりました。
それは、とてもいたたまれない気持ちでした。

 

いじめられるという出来事は
自分一人がその悲しみを味わえば済むような話ではなくて、
結局私だけではなく、家族、特に両親をも苦しませることに繋がると思えました。

 

つまり、差別されいじめられるという体験を通して、
私はそこに「二重の悲しみ」があることを知りました。

 

いじめる人たちはいじめを行っている時、
その対象となる相手一人だけを傷つけているように
思っているかもしれませんが、
実際はその本人を取り巻く周囲の人たちをも同時に傷つけることに
繋がっているのだということを知って欲しいと思っています。

 

私は自分一人だけが傷つくのなら、まだどこか許せました。
自分の撒いた種だという思いからそれを受け入れることができました。

 

でも、関係ない家族までもが、
自分の存在によって傷つくことは、自分のこと以上に辛く許せませんでした。

 

だから、悩みを打ち明けることができなかったし、
子ども心に余計な心配や負担をかけたくないという思いから、
その後ずっとその事実を黙ったまま、
自分の中で解決するという道を選ぶことにしました。