いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

思考パターンを変える その1

今振り返ってみると、
『悩みを悩みにしたくない』と思ったことが
その苦しみから解放されるきっかけになっていたように思います。

 

大学生の時、図書館でたまたま手に取った本の中に、

 

「自分がいつまでも被害者意識を手離さず、
誰かの助けを待って甘えている、自分の中にそういった幼稚さがある」

 

というような内容の言葉がありました。

 

私はその言葉を目にした瞬間、
なぜか唐突に自分のことを指摘されたかのように感じて、
心の中で「私はそんな人間じゃない!」と
突き返したい気持ちになりました。

 

でも、その言葉は胸に強烈な印象を残し、
どこか喝を入れられたような気もしました。

 

その後もその言葉がずっと頭から離れず、
よくよく考えてみたら、
「確かにそれはまさに自分のことを言い当てている言葉なのかもしれない。」
と思えてきたのでした。

 

それは、私にとっては言われたくない本当の姿、
本質的な原因、自分の非を、
あからさまに突き付けられた出来事になりました。

 

だから、反射的に「そんなこと言われたくない!」、
「自分はそうじゃない!」と思おうとしたのだということにも気づきました。

 

人は真実を言われると、咄嗟に目を背けたくなることがあるんだということも
この自分の経験からわかりました。

 

その後、私は段々と自分自身が被害者意識を持ち続け、
誰かが自分を何とかしてくれるの待っていたところがあるということを
認められるようになっていきました。

 

自分がそうやって周囲に依存していたということに
それまで全く気づかずにいたので、
この出来事はその後の自分の変化にとって大きなものでした。

 

当たり前のことかもしれませんが、
悩みが悩みとしてあるということは、
自分の中にある決まった思考、考え方の癖、
典型的なパターンがあるということが言えるように思います。

 

それを悩みとする、もしくは悩みにさせるような考え方を変えない限り、
それはずっと悩みとしてあり続けるように思いました。

 

例えば、私の場合、大学生になり対人恐怖症が特にひどかった時期、
もう自分は普通の当たり前の生活が一生送れないと絶望的な気持ちになりました。

 

外を出歩くのも苦痛であったし、特に大学の講義、
人混みに行ったり、電車に乗ること、食事の席、映画館など、
人が集まる場所に一定時間固定されて居続けなければならない状況というのが、
耐えがたい程の苦痛でした。

 

自分でその状況を避けられる時はよいのですが、
これまでの習慣や付き合いであったり、
大学生活、通学など、普通に生きていくためにやらなければならないことの中に
それらが含まれていて、大半が強制的なものでした。

 

みんなが当たり前に何気なく行っていることが、
自分にとってはこんなにも苦しみを生む原因になるのだと
知ったことは正直驚きでした。

 

そして、時間が経つにつれて、
もう普通の生活を望むことを諦めようという気持ちになっていきました。

 

もう一生この精神病と共に人生を歩いていくしかないと思いました。
その時、それはすごく悲しく感じられました。

 

自分が他者とはどこか違う、精神異常者である、
どこか逸している、気違いだと思われながら生き続けなければならないと、
自分自身でそれを認め、受け入れることを意味していたからでした。

 

でも、そのことがなぜ苦痛を伴ったのか、
悩みの種となったのかを考えてみると、

 

・対人恐怖症を患った人間は生きていてはいけない
・正常に戻さなくてはならない
・正常でなければ生きている意味がない
・精神が病んだら人生の終わりだ

 

などといった様々な思い込み、考え方、信念が
私自身の中にあったからだと気づきました。

 

つまり、私が自分のその精神が病んだ状態、
ありのままの自分の存在を受け入れることを拒み、
この世に生き続けることさえもどこか許せなかったのだと思いました。

 

大学生になってそれまでの環境や人間関係も変わり、
以前の身体的コンプレックスが目立たなくなったにも関わらず、
今度は精神病を餌にして、
自分の存在を否定しようとしている自分がいるということに気づきました。

 

次回「思考パターンを変える その2」に続きます。