いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

すべては自分の一人芝居だった

私は人生の悩みに力を与えていたのは
自分自身であるということに気づきました。

 

私が精神病に苦しみ、それを悩みの種、解決しなければならない問題として
治す方法を必死で探していた当時は、
精神病を排除しなければならないと思い込んでいました。

 

そして、いつもそれしか見えておらず、
それが自分の存在、人生のすべてというあるという風にさえ感じられていました。

 

でも、実はそう思ってしまうと、
そこに自分の意識が必要以上に向き過ぎてしまい
結果としてそのレッテルを上塗りすることになり、
捕らわれてしまうということがわかりました。

 

また、精神病というものが自分の中でより異物として感じられてしまい、
かえってその存在感を強めてしまうということにも気づきました。

 

例えるなら、コップの中にある泥水を何もせずそっと置いておくと、
自然と泥が底の方に沈んでいき、やがてその上澄みはきれいな水になります。
でも、その泥に意識が向き過ぎてしまうと、
それを何度もかき混ぜる行為に繋がってしまい、
結果的に常にコップの水が泥水で濁っているような状態になるのに近いと言えます。

 

また、精神病という装置を起動させるために、
毎日自分でそこにコインを投入するような真似をしていたという事実にも気づきました。

 

このことは実は盲点とも言えることで、私はそのことに気づくまで、
何度もそうやってコップの中の水をかき混ぜたり、
コインを投入したりし続けていました。

 

そこに注意を向け過ぎていることが、かえって精神病を持つことを強める、
執拗に症状を誘発する、自分への影響力、効力を高めてしまうという
逆効果、皮肉な現象が起きていたということに気づきました。

 

そこで、私は精神病を患った自分を丸ごと受け入れようと思い、
まずそれを治そうという働きかけをやめました。

 

そして、それがあってもなくてもできることを
自然と行動に移すようにしていきました。

 

すると、それまで精神病を治すために注いできたエネルギーや
時間や行動などが減っていき、
自然とそれが別のことに使われ始めるようになりました。

 

それは、自分が精神病であるということに関係なく、
私が好きなことをしてただ生きるという当たり前の
何気ない日々を生きるということでした。

 

その日々が積み重なっていくうちに、
精神病があることさえ一時的に忘れたり、考える頻度が少なくなり、
私の中でその存在感が薄れていきました。

 

そのことでその影響力が弱まり、徐々に自然治癒していったかのように
感じられたのだと思いました。

 

精神病があるということを認めながらも、
それが原因で何かができないとそこを起点に日々を生きるのではなくて、
『精神病があってもなくても私はこう生きる』という生き方に変えると
精神病が存在する理由、価値がなくなってしまい、
結果的に自然消滅する、自然治癒することに繋がるのだということがわかりました。

 

精神病があるから「~をしない。」「~を我慢する。」という行動を選択すると、
精神病に自分が支配されることになり、
いつまでもその苦しみから解放されません。

 

でも、精神病があってもなくても、自分は自分のやりたいことをやるという
経験を積み重ねていくと、精神病が自分を支配できなくなるのです。

 

特にできる範囲で少しずつ好きなこと、
楽しいと感じられることをやっていくと、自然と時間を忘れるくらい夢中になれます。

 

本当に自分のやりたかったことをやるというのは、
心を癒す助けとなってくれるのだと思います。

 

精神病に自分の人生の選択を決めさせないように、
この陥りやすい罠にいかに早く気づいて、
自分でそこから抜け出すかが重要になってきます。

 

それらのこと経験し、
悩みに力を与えていたのは自分であったということがわかりました。

 

さらに悩みを持つことで自分でも気づかなかった
メリットを受け取っていたという事実にも後に気づきました。

 

そう考えると、これはすべて自作自演の一人芝居であったんだと思いました。

 

悩みを生み出し、それを悩みと決めつけたのも私、
さらに、それに影響を受けて生きるという人生の選択をしていたのも私、
外側の現実は何も関係がなかった、
すべて自分が創り上げて、ただそれに苦しんでいたという驚くべき事実に気づいたのでした。

 

この気づきは、後に一時的な‟悟り”のような神秘体験をすることにも
繋がっていく一つのきっかけにもなっていきました。