いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

いじめのある世界にいた理由 その2

三つ目に、私がいじめる人たちを改心させるんだという
変な正義感を持っていたからだということにも気づきました。

 

それは、人としてどうあるべきか、
人として正しい行いと何かという自分の正義を他者に押し付けようとする、
もしくはその動機となる出来事、
きっかけを欲しがっていたという意味でもありました。

 

その時、自分の期待通りに他者を変えたい、
理想像を他者に演じてもらいたいという欲求が
自分の心の奥に潜んでいたということがわかりました。

 

一見改心させるという行為は、
いじめる人たちへの思いやりのように感じますが、
私は単に自分の正義感を満たす、もしくは振りかざす行為に思えました。

 

もし自分をいじめる人たちを変える、それが自分の使命、役目だと思い込んだ時、
これも皮肉なことですが、
自分をいじめのある世界に閉じ込めることに繋がると思いました。

  

四つ目をあげるならば、
被害者意識を手離したくなかったからだと思いました。

 

被害者意識というのは、自己憐憫にも通じますが、
自分はこんなことをされて可哀想な存在なんだ、
誰かが自分を助けなくてはいけない、
自分を誰かが救ってくれるんだと信じて救世主を待っていた時、
いじめのある世界に自分を閉じ込めることになっていたと気づきました。

 

なぜなら、いじめのある世界にいれば、
いつまでも自分は可哀想な存在でいられるし、
誰かの助けを受け取るのが当然だと思っていられるからです。

 

そして、時に腫れ物にでも触るかのように周囲に優しく気遣われ、
誰かがそんな自分をいつか救ってくれると信じ、
自分は何もせず他者の行為によって自分の状況が良くなるのを待てばよいので
楽だと思えたからでもありました。

 

それを期待して待っているせいで、自分からいじめのある世界を出ようしないため、
実はこの被害者意識を手離さないということが、いじめの世界に自分を閉じ込める最も大きな理由になると思いました。

 

自分自身がいじめのある世界をある意味で利用している部分もあるため、
共謀しているという点で一番根深い原因とも言えるかもしれないと思いました。

 

五つ目をあげるならば、他者に自分の苦しみを理解してもらいたい、
わかってもらいたいと願っていたからだとも気づきました。

 

これは前述の四つ目の理由にも似ていますが、
誰かが自分の境遇を理解してくれる、
わかってくれると信じて待っている時も同じようなことが起こるように思いました。

 

つまり、自分の中に甘えがあって、
自分が他者に理解してもらえたと納得できるまでは、
いじめのある世界に自ら居座り続けるということを意味していました。

 

それは、「いじめられた存在」という役を手離そうとしないという意味で、
被害者意識にも通じるものがあります。

 

そして、他者が自分の苦しみを完全に理解するなどということは
現実として不可能であるので、そう願っている時点で、
自分をいじめのある世界に閉じ込めることになると思いました。

 

今あげたような理由、原因、目的があったから
私はいじめのある世界で生きることができていたのだということがわかりました。

 

人によっては私のようにこれらすべての理由が合致する人もいますし、
または部分的に合致する人もいるかもしれません。

 

いずれにしても、この中の一つでも該当するものを持っていると
いじめのある世界に自らを縛りつけることに繋がってしまう可能性があるということがわかりました。

 

そして、後にこれこそが心の中に住むエゴが仕掛ける罠でもあったということに
も気づきました。
 

では、その罠に気づき、
どうやっていじめのある世界から抜け出せばよいのでしょうか?

 

次回「生きる世界を変えるには? その1」に続きます。