いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

生きる世界を変えるには? その1

まず最初に、私はいじめのある世界に自ら入ったという
前提を持つことにしました。

 

そのことによって、自分でその世界に入ったのだから、
当然自分の意志で抜け出すことも可能だという視点を持つことに繋がりました。

 

そして、自分はなぜいじめのある世界に居続けたいのだろうか?
と自分自身に問いかけてみました。

 

大抵は自分で自分に嘘をついて、その答えをすぐには明かしませんでした。

 

それは私の心の中に住むエゴの仕業でもあるのですが、
それを知られてしまうと、いじめのある世界に
私を閉じ込めておけなくなるということがわかっていたからでした。

 

エゴは私自身にそのことに気づいてほしくない、教えたくもないので、
時に私に嘘をついて誤魔化したりするのだとわかりました。

 

私は自分自身の本心に目を背けず真正面から向き合う、正直になると決めた時
どんな答えであっても動じないという心構えが自然とでき、
段々とその答えが見えてくるようになりました。

 

そして、「いじめのある世界にいた理由」をいくつも見つけ、
それを一つ一つ変えていきました。

 

「いじめのある世界にいた理由」についてはこちらの記事をご参照下さい。
 ↓

 
syakadou77.hateblo.jp

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一つ目にあげた罪悪感や自責の念が理由だったと気づいた時、
私は罪悪感や自責の念を持っても罪を償うことにはならないと思うことにしました。

 

罪悪感や自責の念を自分自身に抱かせると、
一見自己犠牲のような尊い行為であるかのように錯覚していましたが、
後に結局この世に不幸な私という存在を
生み出していることにしかならないと気づきました。

 

また、私は客観的に罪悪感や自責の念で苦しんでいる自分を想像してみた時、
「私はそうやって自分の罪を償おうとしているんだね。偉いね。素晴らしいね。」と
褒めたいとは到底思えませんでした。

 

それに、私は罪悪感や自責の念によって、
日頃から自分自身を卑下し、ひどく粗末に扱っていました。

 

もし仮に罪があっとして、さらにそれを償うことが可能であったとしても、
それではそのスタート地点にすら立てていないように思えました。

 

むしろ、自分を不幸にしているという点で、二重に罪を重ねているように思いました。

 

せめて、自分一人くらいは幸せにして、それでもまだ余力があれば、
他者を幸せにするように生きた方が何倍も償いになるように思いました。

 

結局、私はそのことに気づくまでずっと騙され続けていましたが、
罪悪感や自責の念を自分に抱かせるという行為自体が、
エゴの罠であったのだと気づきました。

 

罪悪感や自責の念を持ったところで、罪を償うことにはならないし、
そもそも罪があるのかさえ正確にはわかりません。

 

それなのに、罪があるように信じ込ませて自分を不幸にするということで、
これはエゴの仕掛ける巧妙な罠だと思いました。

 

それに気づいた時、
私は罪悪感や自責の念を自分に抱かせることをやめました。

 

二つ目にあげた復讐心、憎しみ、恨み、怒りを他者に向けたかったからだ
という理由に気づいた時、
そのことに気づくことができるかどうかを試されていたのだと思うことにしました。

 

実際、私は短気で怒りっぽく、自分の正義に対する価値観や信念に必要以上に固執する傾向にありました。

 

今思えばその頑固さを見直すことを求められていたのかもしれないと思いました。

 

また、そのような感情を抱きやすい自分の性格的特徴を理解し、
もっと冷静になる術を身につけるという目的もあって、
ある意味修行のような形でいじめのある世界に入ったという
見方もできるように思いました。

 

そして、同時に「許す」ということも学ぶ必要があったのかもしれないと思いました。

 

三つ目にあげたいじめる人たちを自分が悔い改めさせる、
改心させるということが使命だと思っていたと気づいた時、
それは自分の役目ではないと手離すことにしました。

 

それは一見相手に対する思いやりや正義感から生まれたもののように思えましたが、
単に私の正義を他者に押しつけているだけだと気づきました。

 

それに、他者は自ら改心するのであって、
私に改心させられる存在ではないのだということにも気づきました。

 

その時、一瞬見捨てるような気持ちにもなりましたが、
自分はその役を引き受けないといきっぱりと突き返したことによって、
後にいじめのある世界から抜け出すことに繋がったように思いました。

 

いじめる人たちも何らかの理由があって自らその行動を選択しているので、
私は本質的には他者を変えることはできないのだと思いました。
変わるかどうかを決めるのは最終的に本人であって、
必要であれば人生の流れの中でやがてそうなる時が来るだろうと思いました。

 

自分がどんな理由でいじめていたのかというその本当の理由に気づいた時、
自然とそれをやめていくように思いました。

 

つまり、それは誰かが強制的に行うことではなくて、本人の気づきや意思、
人生の自然な流れという適切なタイミングによって
行われることであるように思いました。

 

そのため、その役を自ら買って出るというのは傲慢さ、独善的、偽善的な行為に繋がり、相手の自由意志を無視しているように思えました。

 

自分がまずはいじめのある世界から抜け出して、新しい世界で存分に幸せに生き、
遠いところでいじめる人たちに憧れを抱かせるくらいが
ちょうどよいのだと思いました。

  

次回「生きる世界を変えるには? その2」に続きます。