いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

書くことの効果 その1

私が精神病に苦しんでいる時、結果的に自分をその窮地から救い、
快方へと導いてくれた最も大きなことは「書くこと」でした。

 

当時、様々な本から知識を得ることも行っていましたが、
まず自分の普段考えていることや気持ちを紙に書くという行為があったからこそ、
その理解をより深め、それが意味を持つようになったのだと思います。

 

普段私たちが日常的に何か物事を考えたり、
感情を抱くという行為は意識せず当たり前のように行われているので、
そこへ意識的に目を向けるということをあまりしないように思います。

 

さらに、その膨大な量の思考や感情をいちいち
日常生活の中で気に留める余裕などないため、
何か人生における大きなきっかけとなるような出来事がない限り、
そこに意識的な目を向けることはほんとんどないのかもしれません。

 

また、その思考や感情の中には一瞬だけ沸き起こるようなものもあり、
それを自分に嘘をつかず見つめると心に決めて、
さらに注意深く観察していないとそれを捉えるということは難しいかもしれません。

 

私は人生を振り返ると、いじめや差別という体験がきっかけとなり、
精神が病んだことによって必然的に自分自身の内面と向き合うことになりました。

 

そのことによって、結果的に自分の思考や感情を事細かに観察することが可能となっていったように思います。

 

でも、もしいじめや差別という体験が私の人生になければ、
このような視点を持てたかどうか疑問に思います。

 

日々思考や感情の多くが実は見過ごされてしまっています。

 

また、特に強く抱いている思考や感情は
それと自分とが同化してしまっていることがあるため、
それを客観的に見るということがしにくい状態になっている場合もあります。

 

例えば、何かに対して怒っている時、その怒りという感情と怒っている自分というものがまるで同じもの、同化しているかのような錯覚に陥ります。

 

実は、感情はただの感情であって、自分は自分として別々に存在しているのですが、
そのことに気づけません。

 

怒っている時の状態を、「我を忘れる」という言葉で表現されることがありますが、
まさにその言葉通りで怒りの感情というものに一時的に自分が取り込まれている状態、感情に自分が呑まれている状態であると言えます。

 

そんな状態の時、今自分がすごく怒っているということはわかりますが、
それを他人事のように客観的に見つめるということはしにくいと思います。

 

でも、少し時間を置いて冷静になってみた時、
ようやく自分はどうしてあの時あんなに怒ったのか、
何が許せなかったのかなどといった原因について考えたり、
分析したりすることができるようになります。

 

でも、その思考や感情の渦中にある時、そこに意識が集中し過ぎているため、
それを意図的に引き離す、俯瞰的に観察するということを行わない限り、
客観的視点で眺めることができないように思います。

 

私も最初はそういった思考や感情に翻弄されているような日々を送っていました。

 

でも、何度もそういった経験を重ねるうちに、
意識的に視点をはずす、移動させるということができるようになっていきました。

 

時とともにそれが訓練、練習となって積み重なっていき、
やがてその思考や感情にとらわれる前にすばやくその外側でそれを観察するという
独特の視点を持てるまでになってきました。

 

まず、その最初の段階として、自分の思考や感情を紙に書き出すという行為が、
それを可能にする第一歩、助けとなってくれていたように思います。

 

次回「書くことの効果 その2」に続きます。