いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

強い自分を手に入れた

私は、いじめや差別の体験の中、本当に心が疲弊し、
何度も自殺を考えることがありました。

 

具体的にどこでどんな方法で死ぬのかを考え、
死ぬ時の痛みはどれくらいなのかを想像してみたりすることもありました。

 

生まれつき想像力が豊かだったおかげで、
その時の様子をいろいろと細部にわたって想像することができました。

 

そうしたら、それを今まさに体験しているかのように、
傷みが強烈なものとして伝わってきて、
現実に起きているかのように感じられたりもしました。

 

また、自分は死を直前にした時、いつも決まって母親のことを思い出し、
「やっぱり死にたくない!助けて、お母さん!」と泣き叫ぶようにも思いました。
本当は自分は死にたくないと思っているというその姿がその想像の中で、はっきりと目に浮かびました。

 

だから、そういった一連の想像が済むと、やっぱり死ぬのは痛くて怖いし、後悔することになるだろうからやめようという気持ちになりました。

 

当時の私は、現実を生きるのも苦しいけれど、まだ死ぬより生きている方がましだと思い、そうやって何度も思い直すことで生きることを引き延ばしていたように思います。

 

今そのことを振り返ると、そんな臆病な自分の性格が反対に自分の命を守ってくれていたのかもしれないと思いました。


そして、こんなことも思いました。

 

よく考えてみたら、いじめる人たちは直接手を下さないのに、〝自殺させる〟ということで相手を死に追いやっているのではないかということでした。
 
でも、そこでさらにもう一つ決定的なことに気づきました。

 

それは、自分を殺すという行動を起こそうと考えているのは、いじめる人たちではなく結局自分自身であるということでした。

 

つまり、最終的な決断を下しているのは自分自身であって、それを誰か他者のせいにすることはできないと思いました。

 

それに、もしそこで「自分にはこんな良いところがある」、「生きる価値がある」、「死ぬのは勿体ない存在だ」と心から思えていたら、自殺という選択肢を選ぼうと考えることもしなかったのだろうとも思いました。

 

でも、当時の私にはそれがいつも揺らいでいて、自分がこの世に生きていていいと思える理由が見つからず、「生きていていいんだよ。」とはっきり自分に言ってあげられませんでした。

 

だから、自殺願望が芽生え自殺しようと考えたのだと思いました。

 

でも、今思うと、そういったことすべてが自分自身に与えた試練だったのかもしれないとも思いました。

 

孤立無援という極限状態にまで追い込まれた時、本当に自分自身を支えられるのか、自分の命を守ることができるのかを試されたのだろうという気がしました。
 

私はそれまで全く自分を愛せずにいました。

 

だから、そのことに気づかせるために、私といじめる人たちとの出会いがあったのだとすれば、すべてが納得できるように思いました。

 

どんなに周囲からいじめられ差別されて孤独になったとしても、
〝自分自身さえ味方にいてくれたら生きていける〟とその出来事を通して私は思えるようになりました。

 

私はいじめや差別という経験から、共に寄り添って生きていく〝私〟という強い自分、仲間を手に入れることができたように思いました。

 

それがいじめや差別というネガティブな経験が、私に与えてくれたポジティブな恩恵の一つであったと思いました。