いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

ブログを書くことの意味

今、いじめをどう克服するかについて語っているということは、
私はもういじめの世界を卒業したことになるのかもしれないと思っています。

 

自分のいじめ体験を客観的に見られるということは、
もうその世界に属していないという気がしたからです。

 

このいじめを克服するブログを書くということは、
私にとってその過去の体験から本当の意味でお別れすることを
意味しているように感じています。

 

初めはこの体験を生涯誰にも語ることなく、
自分の墓場まで持ち帰ろうと思っていました。

 

でも、ある人にこのことを語ることを勧められ、
徐々に打ち明けようという思いが生まれ始めました。

 

ただ、これを書くに至るまでには、

 

・過去に私をいじめた人たちにどう思われるのか?
・私の考えは過激過ぎないか?
・誰にも気にもとめてもらえなかったら?
・批判を受けないか?
・私の体験が世の中で役立つのだろうか?
・そこに意味や価値があるのだろうか?

 

などという疑いや怖れがずっと拭いされず、
数年間もそのことについて悩み続けました。

 

そして、今ようやくこのことを語ることを決意し、
書くことができるようになりました。

 

私はこの世でいじめという体験をし、
それを乗り越えた一人の人間という形で生きてはいますが、
どこか舞台で言うところの役みたいなものだと思っています。

 

それが私のすべてでもないし、本質でもないことをどこかわかっているのです。

 

私の本質は何者にも染まっていない純真無垢な光であるということを
悟りの体験をした時に気づいてしまったからです。

 

これまでいろいろなレッテルを自ら貼り、また他者からも貼られて、
それをその通り生きてきたけれど、
どれも私の本当の姿を言い当てているものはありませんでした。

 

当然、人間として生きているので、
時に怒りを持ち、他者を憎んで恨んだり、自殺願望を持ったりすることもあれば、
反対に他者に愛を持って優しく接したり、思いやったりすることもあります。

 

でも、結局どれも私にとっては、その時の役として演技をしていたというように思えています。

 

この世を生きるために、
その制限の中で表現できることをしていただけに過ぎないという気がします。

 

そして、本質的には私に自分も他者もレッテルを貼ることはできないとも思っています。

 

便宜上そのようにすることはあっても、
それは仮の姿だとわかってそうしていると思っています。

 

人間の可能性は本来無限、何になるかも、どう生きるのかも
すべて自分自身が決めて創造しているのだと思っています。

 

もし今の自分の役が納得がいかない、
もっとこんな風に生きたいと思えば自由に選び直すことができます。

 

でも、その前に「どうせ無理だろう」と諦めてしまうと、
本当にそうなれないという現実が創造されます。

 

その思い癖、思い込みを自分が自分に与えているということに気づいて
それを少しずつ取り外していくと、
自然となりたかった自分へと変化できるということを
私はこれまでの人生経験を通して知りました。

 

一時は絶望と思えたドン底からも自分次第によってその状況から抜け出し、
さらに人生を幸せに生き直すことができるということが
私の過去の人生体験から伝えられることだと思っています。

 

このブログが少しでもその助けになれることを心から願っています。