いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

いじめられる人生とは その1

私の人生で体験した出来事、思いなどをこれまで書いてきて
人によっては、

 

「よくそんな辛い人生を生きてきたな。」
「とても真似したい生き方じゃない。」
「自分だったらそんな人生を生きるのはまっぴらごめんだ。」

 

などという感想を持つ人もいるかもしれません。

 

また反対に、

 

「お前の性格が悪いから、そんな人生になったんだ。」
「性根を叩き直すためにはそれくらい苦しんで当然。」

 


などネガティブな意見も思い浮かびます。

 

私の人生にどんな判断や評価を下したり、
思いを抱くのは自由であるし、その捉え方は人それぞれ異なってよいと思っています。

 

私自身も、「なぜ私の人生はこのようなものなのか?」と、
時にふと思うことがありました。

 

自分の性格や好みなどを総合的に見ていくと、
哲学的なことや心理的なこと、自分の内面に向き合うことを好む傾向があることもわかりました。

 

常にどこかで物事の本質、真理、根本にあるものが何のかを自然と突き止めよう、
探し求めるように生きていました。

 

また、気づけば自分の思考や感情の流れを事細かに書くことで記録し、分析したり考察することを当たり前のように行っていました。

 

楽しいからとか好きだからという理由からやっていたというよりかは、
それが自然、普通、それしかすることがなかったからというのが正直な気持ちでした。

 

人によっては、私のそういった傾向を物好きな人だと感じたり、変わった癖だと思う人もいるかもしれません。

 

人生にはもっと違った楽しみ方もあるのに、なぜそんなことに価値を見出し、人生の多くの時間をそのことに割いているのか、人生をかけてそのようなことに取り組んでいるのかを疑問に感じたり、または憐れみに似た感情を抱く人もいるかもしれません。

 

私としては、気づいたらそのような人生を自然に歩んでいたという感じでした。

 

やがて、自分の内面を紙に書き出すことを続けていくうちに、
段々とそうやって吐き出さないと心理的に気分が悪い、
衝動的に書きたいという欲求に突き動かされて
書かずにはいられないというような気持ちにもなっていきました。

 

それが苦行だとか、苦痛であったとかいうこともありませんでした。

 

好きでもないし、嫌いでもないけれど、なぜか書かないと違和感がある、
書いていないと落ち着かないという感覚で、
自分の心の内面を書き出すことをずっと続けてこられました。


でも、本音を言うと、私自身でも思っていた以上に、人生をこじらせてしまっていたのかもしれないという思いはありました。

 

同じ人生のテーマ、同じ学ぶべき課題であっても、私のような人生でなくても学ぶことができたかもしれないし、こんな深みにはまってもがき苦しむ必要もなかったのではないかと時々思ったりしました。

 

ただ今はそんな自分の人生も丸ごと愛せるようになりました。

 

下手でも失敗ばかりでも、一生懸命自分で創造してきた、組み立ててきた人生であったと思えたからでした。

 

私は、その過程で本当に沢山の体験をし、いろんな感情を味わいました。

 

ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもあって、
その感情の起伏、変化、強弱、機微などを思い返すと、
ある意味で豊かだったとも思えました。

 

次回「いじめられる人生とは その2」に続きます。