いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

いじめられる人生とは その2

例えば、自分がこのような人生を青写真として生前に生きることを知っていたとして、
自分がこの世に生まれることを選んでいたとしたら、どういう気持ちでこの人生の一連の流れを受け止め、そのことを決断したのだろうと思いました。

 

人生の醍醐味とは、善いことも、悪いことも、嬉しいことも悲しいこと、幸せも不幸も、様々な経験や感情を味わうことにあると言われていたりします。

 

実際、私は自分の人生を生きていく中で、そうなのかもしれないと思うようになりました。

 

さらに、この年齢になって自分の過去を振り返ると、自分の課題、学ぶべきこと、乗り越えるべき問題、変容させることが必要な要素が、一切の無駄がなく、盛り込まれていた人生でもあると思えました。

 

また、そういったものが変容していく過程を知る、見る、体験するということは、他では得られない貴重な体験でもありました。

 

生前いろんな人生を選択できたはずなのに、
なぜあえて私はこの人生を選択したのか、今を生きている私には、
その時の記憶はないので、その思惑は想像できません。

 

でも、一つだけ言えることは、
生前の私は自分に対してこの苦難を乗り越えられるという自信があったのか、
自分のことを相当タフな存在だと思っていたのかもしれないということでした。

 

そうでなければ、こんな人生を選ばないだろうと思えたからでした。

 

そう思えた時、自分の魂の気質というか、本来持っている潜在的な性格のようなものが感じられ、自分は勇気があり、自分のことをとても信頼していて、この人生を選びこの世に誕生したように思えました。

 

そのことに気づいた時、自分のことをまたより一層愛せるような気持ちになれました。

 

また、霊的真理を自分なりに学ぶ過程で、地球には集合意識というものが存在するということを知りました。

 

一人ひとりの人生の体験、記憶が、すべて一つの保管庫に集約されているという概念があるということや、一人ひとりの意識、考え方、信念がその時代の流れや出来事、常識、定説のようなものに作用し、それを創造しているということを知り、そのことを実感として感じられるようになりました。

 

その時、私一人の人生が、地球の集合意識に与える影響も少なからずあるように思えました。

 

そして、私が体験した人生の変容のプロセスを、地球の集合意識に刻み記憶させることも私の人生の目的の一つだったのではないかと思いました。

 

これは憶測に過ぎませんが、過去においても多くの先人たちがすでに私のような人生をきっと歩んでいるだろうと想像がつきました。

 

だから、もしかしするとその道を私が再びなぞるかのように生きることで、
その道のりを強化する、道を踏み固める、道をはっきりとわかりやすくするという隠れた目的も含んでいたのかもしれないと思いました。

 

ネガティブなものをポジティブなものに変容させるプロセスや、
その過程で自己愛を獲得するというテーマは、
過去に生きた先人たちもまた乗り越えてきた道のりだろうと思いました。

 

そして、私はその同じような人生の道を歩む、体験するために、
差別される要素を持って生まれる必要があったし、
そのような時代、国、地域などをすべてそのために選択する必要がありました。

 

その上で、自分の性格的な特徴を考慮し、怒りや憎しみ、恨みを抱かせるような出来事を自分の人生に招き入れれば、そこからいかに脱却するのかという、人生の課題を自らに課すことができます。

 

これは、自分の人生に対する一つの見方でしかありませんが、宇宙は私に対して、欲しいものをすべて現実化してくれていたし、私と出会ってきた人たちは、私の心を映し出す完璧な鏡となってくれていたと思いました。

 

それは、一切の狂いなく、寸分たがわず、何よりも正確であったと思いました。

 

苦しみの渦中を生きていた時には、

 

「なぜこんな現実がやってくるんだ!」
「願ってもいないのに望まない現実ばかりだ!」

 

と腹を立てていました。

 

自分の人生を意に沿わないもの、自分の願いが全く反映されていない現実だと思い込んでいました。

 

でも、今になってみると、すべて自分の人生で起きた出来事や見てきた現実は、自分の心を反映していて、むしろそれ以外の現実はなかったとさえ思えました。

 

善いことも悪い事も、何一つ間違わず、何一つ取りこぼさず、私に与えてくれていた宇宙の仕組み、創造の力を思う時、それは敬意にも似た感情を覚えました。
 

私にとって「いじめられる人生とは」一体何だったのか?

 

いくらでも思いつく限りその答えや意味、目的を見出すこともできるし、
反対に予定とは違った人生になった、人生として失敗だったということもできるように思いました。

 

もしくは、初めから答えなんてない、意味や目的もなかったということもできるように思いました。

 

最終的にどれであってもよいし、どれでなくてもよいのだと思うようになりました。

 

でも、一つ心の支えとして言えることは、
苦しみはそれが時を経て他者のために貢献した時、
もしくは、自分自身のために必要だったと心から感じられた時、
初めて報われ昇華されるのかもしれないということでした。