いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

自己愛に気づき、自分を愛するとき その1

いじめや差別を受けるという経験を通して、
私自身は何に気づき、学んで欲しいと思っていたのかを考えてみた時、
その最も大きなものは〝自己愛〟なのだという結論に至りました。 

 

当時、私は自分の身体的コンプレックスを周囲の人たちと同じように、

「気持ち悪いと思われてもしょうがないよね。」
「自分も逆の立場だったらそう思ってしまうかも。」

とどこか冷静に見ている部分がありました。

 

そして、それを欠点と思いひどく気にしていて、
それを持って生まれたことを受け入れられずにいました。

 

ありのままの自分の姿や、自分という存在そのものを愛せずにいました。

 

 

霊的な真理、知識を深めていくに従って、〝大いなるすべて〟、〝神〟、〝無限の力〟など様々な呼び名がありますが、根源的な何かがその一部を分けてくれて、
自分の魂が創造されている、命、意識、存在としてあれるのだということを知るようになってから、考え方も徐々に変わっていきました。

 

そもそも生きることを体験できているのはそのおかげであるのに、
過去の私は自分の容姿という身体的なほんの一部分のことを指さして、

 

「これがあるから生きにくい」
「このせいで苦しみが生まれる」
「こんな肉体嫌だ」
「こんな人生を歩みたくない」
「自殺したい」

 

などと文句ばかり言っていたように思えました。

 

後に、私はそういった人生の基盤となるような設定も自ら生前に選んでいたと知ることになったのですが、それを知る以前はただ与えられたものに対して、
ケチをつけたり、不満を抱いている我がままな子どものような状態であったように思いました。

 

他者からいじめられ、差別されるという人生を歩んだことで、
結果的に自分がすべてを創造していたという事実に気づくことになりました。

 

そして、それを生んだ原因の一つは「自己愛の欠如」だったこともわかりました。

 

それから、私は自分自身の存在や人生を眺める視点も大きく変わりました。

 

自分の思考や感情などが現実化に作用していることも実感として感じられるようになり、自分の人生に与えられているものは、すべて自らが選択したものだったと心から納得できました。

 

それまでは狭い見方でしか物事を見られませんでしたが、
その視野が広がるにつれて、
自分の人生を自然と愛せるようにもなれました。

 

嫌なことや辛いことも沢山ありましたが、
それと同じくらい幸せなこと、楽しかったこともあったと、
冷静に人生を眺める視点を取り戻せました。

 

そして、自分を愛すること、大切にすることをそれまで以上に考えるようになり、
それは結果として、他者を思いやる心にも繋がっていきました。

 

私は幼い頃、どこかで他者のためになることをする、他者に尽くすこと、自分の本心を抑えて他者に譲ったり、優先させてあげることが、人としての優しさ、思いやり、尊い行為だと信じていました。

 

でも、それはもしかすると自己愛が欠如していたからできたことでもあったと思うようになりました。順番が間違っていたと思いました。

 

自分のことを大切に思いやって、自分の本心の願いを叶えてあげた上で、
他者に奉仕する生き方が本当は最善であったのだと気づきました。

 

自分をないがしろにして他者に尽くしても、
結局それは自己犠牲であって不幸を生むだけだと思うようになりました。

 

私の場合は、なぜか人一倍善良な人間でありたいといった偏った思考の癖があったせいで、自己犠牲が正しい生き方、人としてあるべき姿だと思い込み、無意識に自分にそれを奨励していた部分もありました。


でも、今は自己犠牲はたとえ他者を幸せにしていたとしても自分を不幸にしているので、プラスマイナスゼロ、もしくはマイナスだと思うようになりました。

 

自分自身を幸せにできない人が、他者を幸せにすることに価値を見出すなんておかしな考え方だと思うようになりました。

 

私は自分を完全に幸せにして、初めて他者を幸せにできるのだと、自分の過去の人生を通して身に染みて感じるようになりました。

 

次回「自己愛に気づき、自分を愛するとき その2」に続きます。