いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

自らの闇を受け入れる その3

それに、これは私の主観ではありますが、自らに宿る闇の側面が他者よりも強烈であったと感じたせいか、それから他者に向ける目が徐々に和らいでいきました。

 

自分の醜さに比べれば、他者の醜さ、言動などかわいいものだと思えるようになっていました。

 

自分の中に宿った怒りや憎しみ、恨み、嫉妬、自殺願望などの、様々なネガティブな感情や、そのことによって引き起こされた自分の言動を思うと、時に自分の存在を人間として最悪、悪の権化とまで思う瞬間もありました。

 

自分の闇が深ければ深い程、そんな自分でも愛し、共に幸せを模索して生き直そうという覚悟ができた時、自分に対して向けた許しや寛容さが、他者にも自然と向けられるようになることを知りました。

 

例えば、他者に何か理不尽な扱いや、不当なことをされた時、自分もその人の立場だったら同じことをしただろうかと思いを馳せたりするようになりました。

 

最初は憤慨し、やり返したいという心理が働くこともありましたが、その人がそのような言動を取る背景、理由、心理的な葛藤などにも想像が及び、その人を理解しようという気持ちが働くようになりました。

 

そして、自分だったら、もっと私自身に対してひどいことをしていたかもしれない、自分だったらもっと最悪な状況を生み出していたかもしれないと想像できたら、その人の行為があまり気にならなくなっていきました。

 

自分が過去に犯した過ちや失敗を思えば、その人の行為はちっぽけなもののように思えました。

 

私もその人と同じ経験、知識の中で育っていたら、同じようなことをしていたかもしれないと素直に認められました。

 

また、もしかするともっとひどい形で他者を傷つけていたかもしれないとも思いました。自分が同じ立場だったら、絶対に同じようなことをしなかったかと自分に問いかけた時、必ずしもイエスとは言えない気がしました。

 

自分の中にある弱さにも気づいていたし、時にその弱さに負けて人を傷つけてしまうこともあるだろうと思ったからでした。

 

自分の弱さ、闇、ネガティブな側面を持ちながら、それとどう向き合っていけばよいのか、どう乗り越えていけばいいのかを模索している内は、当然過ちや失敗を犯すだろうと想像がつきました。

 

自分がもしかしたら、その人と同じ立場になっていたかもしれないことを思うと、一方的に相手を責めることはおかしな気がしてきて、それが他者を許せるきっかけになったりもしました。

 

「許す」とは、何事も受け入れるということではなくて、相手の背景を理解するということや、自分自身のこととして考える、身に置き換えるという意味も含んでいるように思いました。

 

自分が同じ立場だったらどうして欲しいのか、今その人には何が足りないのか、何に気づけていないのかを考え、そのために最も効果的な方法で、その人に向き合う、接することの方が大切だと思うようになりました。

 

やり返して復讐したりするよりもよっぽど意味があるように思えてきました。

 

最終的に、自分自身の闇の部分をどれだけ受け入れられるか、その許す対象が大きければ大きい程、許容できる範囲が広がり、結果的に人間としての心の広さ、ゆとりに繋がるように思いました。

 

「清濁併せもつ」という言葉の意味は、人間に備わる二面性や、それが結果的に自分自身や他者に対する許し、寛容さ、慈愛に繋がっていくのだろうと思いました。