いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

物事はすべて中立であった

悟りの境地に至った先人たちが共通して伝えている言葉は、
ジャッジメントを無くすこと」、「中庸」、「中立」、「ニュートラル」、「ゼロ」であるという言葉でした。

 

つまり、何か物事に対して、定義や判断、観念、レッテル、自分の見方をそこに当てはめることをやめることだという意味だと思いました。

 

物事は本来すべて中立であって、それを善か悪か、正しいか間違いか、幸せか不幸かなどと決めているのは、自分自身であるということにも気づきました。

 

究極を言えば、それが善や悪か、正しいか間違いか、幸せか不幸かも存在せず、それをどう捉えるか、意味を与えるか、どのように感じるかに、すべてがかかっているということなのだと思いました。

 

実際、私の場合、いじめや差別の経験して精神が病んでしまった時、
もう自分の人生が終わったとさえ思いました。

 

自分の人生は何のためにあったのかという問いに対して、
そこに一つの意味しか与えることができませんでした。

 

その当時の私は自分の人生がただ苦しむためのものだったとしか定義できませんでした。

 

でも、本当はそれ以外の部分では、恵まれていたことも多かったことに気づきました。

 

当たり前に家族がいて、お金に困ることもなく、
大きな病気や怪我に遭うこともありませんでした。

 

また、常に誰かしら、師と仰げるような人物、人生に有用なアドバイスをしてくれるような人が周りにいたり、心優しい友人も少ないながらもいて、人生を通してずっと人に恵まれてきたことを思い出しました。

 

他にも数えあげればきりがないくらい幸せと感じられる出来事や思い出は沢山ありました。

 

でも、そういった人生の幸せな部分、恵まれている面が見えなくなってしまうくらい、不幸や苦しみにばかり目が奪われていました。

 

そのことに気づけたということも不幸と思える体験の恩恵でもあったと思えました。

 

日常のあたり前と思えることが、実は本当にかけがえないの奇跡であるということをより一層感じられるようになりました。

 

それは不幸だと感じることを強く経験したことで、相対的に小さなことも幸せだと感じられるようになったということでもありました。

 

さらに、その過程で予期せず、〝目覚め〟が自分の身にもたらされた結果、
現実としての体験、実感として、物事が反転することがあるということも目の当たりにしました。

 

その経験は、何にも代えがたいものだと今でも思っています。

 

その物事の反転、逆転を経験した時、
初めて物事の二面性、表裏一体の真の意味、
物事はすべて中立であって、そこに判断を下しているのは自分自身であるという言葉の意味がすんなりと理解できるようになりました。

 

そして、両方の意味を持つものは、
同時に両方の意味を持たないものにもなり得ると思いました。

 

一つの物事が、幸せにも不幸にもなるということは、
幸せも不幸もその物事自体には属していないように思えたからでした。

 

つまり、幸せも不幸もない、ただの物事、出来事に過ぎないということがそのことでようやく理解できるようになりました。

 

悟りの境地とは、「物事はすべて中立であった」という、
そのことに気づくことでもあったという気がしました。