いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

リバウンドしないように

自尊心、自己肯定感が極限まで下がっている時、精神病が自分の中で特に猛威を振るっていたように思いました。

 

なぜなら、「自分の精神が病んでいる」「正常ではない」と思うこと自体が、自尊心、自己肯定感を低いままにしておくのに好都合だったからでした。

 

私がどこか劣等感や負い目を感じ続けるためには、精神病を利用し、それを持ち続けることが一番手っ取り早い方法だったのです。

 

つまり、「精神病だったから、自尊心、自己肯定感が低くなった」のではなく、「自尊心、自己肯定感が低くなったから、精神病が発症したのだ」ということに気づきました。

 

ということは、自尊心や自己肯定感を低いままにしておきたいという裏の自分の本心があり、それがすべてを誘発していたということがわかりました。

 

だから、私は無意識の内に自らそれを癒すことを拒否していたようにも思いました。

 

ただ、当時の私は精神病が治る見通しが欲しいとも思っていました。

 

とりあえず、正常だったと自分が思えた頃からドン底までの年数を基準にしようと思いました。

 

10年かけて状態が悪くなったのだとしたら、10年かけて戻せばいいと思うことにしました。

 

もっとかかるのか、早まるのかはわかりませんでしたが、何となく自分の状態が悪くなっていった年数と同じ年数をかければ、きっと良くなるという期待を持つことにしました。

 

さらに、自尊心や自己肯定感が乏しくなると、過去に周囲から言われたネガティブな言葉通りに生きてしまうということもわかりました。

 

それを書き換えるためには、今の自分がどういう人間かを洗い出してみることが一つの気づきを生むきっかけになりました。

 

自分の今の状態を一つの役だと思って、客観的に眺めてみるようにします。

 

容姿、性格、周囲の環境などをまず自分自身がはっきりと自覚することから始めます。

 

そして、それを自分が本当はこうありたいと思うものに
ほんの少しでもいいので近づけてみます。

 

この時、急激な変化はリバウンドを起こすのでおすすめしません。

 

実は、私は突然自分のステージが上がるような環境に身を置いた時、どこか馴染めない感覚を抱き、一時的に以前の慣れ親しんだ古巣に戻りたいと思ってしまいました。

 

例えるなら、自分が花だとしてそれまで咲いていた花壇から突然引っこ抜かれて、別の花壇に植え替えられたような感覚になりました。

 

そこが明らかに自分にとって素晴らしい環境だとわかっていても、どこか不安で前に咲いていた花壇に戻りたいという思いが沸き起こりました。

 

新しい環境の方が幸せで良いとわかっているにも関わらず、不便で苦しいそれ以前の環境の方が慣れていて安心だと感じ、そのように思ってしまったのだと思います。

 

その経験から、自分でも気づかないくらいのちょっとした変化を自分に与えていく方が、リバウンドせず確実に階段を上っていけるということを感じました。

 

変化は早ければよいという訳ではなく、しっかり一段一段踏みしめて上がっていくことが、長い目で見た時に基盤のしっかりした変化へと繋がっていくのだと思いました。
そのことから変化は緩やかな方がいいというのが私の持論です。

 

ほんの1ミリずつでもいいので、何か変えてみることが一番効果的だと思っています。

 

また、一進一退でもいいと思います。
こういう時期もある、これは通るべき道だと思って焦らないことが肝心です。

 

私は鬱病から抜け出る時がまさにそのような状態でした。
躁鬱病のような状態で、精神の状態が良い時と悪い時の波が激しい状態がしばらく続きました。

 

急に気分が落ち込んだ時は、やっぱり治らないんだと思いましたが、行きつ戻りつを繰り返すうちに、やがてどんどん良くなっていきました。

 

そういう時は、いつ治るのかはわからないけれど、治る道のりの途中にあるんだと信じ続けるだけでいいと思います。天の流れ、人生の流れによって自然と癒されるからです。

 

実際、時の流れと共に私の精神病は癒されていきました。
人間の持つ自然治癒力は本当にすさまじいものです。
精神病さえも癒す力があるということを自らの体験から実感しました。

 

そして、自分自身が癒しているのではない、自分の中にある神性、本質の光が本来の自分の姿を思い出させてくれたから癒されたのだろうと思いました。


少しずつそれらが顕現することによって、いつの間にか癒されているという状態になるのだと思いました。

 

本来人間に病はないのかもしれないとも思いました。完全無欠の神と同質のものが一人一人の魂にテンプレートとして宿っているのだと気づきました。

 

それを知って生きるのとそうでないのとでは人生がまるで違ってきます。

 

そうすると、どんなものにでもなれます。

 

ただ、本来のあなたの姿、役割ではないものや、
自分の意志決定や好みによっても
ある程度選択肢は限られるようにできていますが、
本来可能性は無限大であるように思います。

  

本当の願いは遮るものもなく、すぐに実現されるというのが
むしろ自然なのではないかとも思いました。

 

今の自分を変えて行こうと少しでもその気持ちを持ち続けることが
やがて大きな変化へと繋がっていくのだと思っています。