いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

新しい価値観を与える その1

以前、こちらの2つの記事で、自尊心、自己肯定感が極端に低くなってしまった時、どのような行動を取って生きてしまうのかということについてお話させていただきました。

 

syakadou77.hateblo.jp

 

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それらを塗り替えていく過程で、私がそこにどんな新しい価値観を与えていったかを参考までにご紹介させていただきます。

 

必ずしもこう思わなければ変われないという訳ではなく、別の何か大きな価値観の変化が起こったことによって、相乗効果的に一気に複数の項目がまとめて消えていく場合もあります。

 

また自分が納得できる価値観の方がそこから脱却できる助けとなる場合もありますので、これらは私が行った一つの例としてお読みいただればと思います。

 

1.自分自身の心身をケアしようとしない=自分に無理をさせてしまう

自分の心身をまず第一に考えることが最も大切だと思うことにしました。私はある時ふと「自分を大切にできない人は、きっと他者も大切にできないのではないか」という風に思えたからでした。

 

実際、私は無意識に自分自身を扱うやり方で、他者に対しても接してしまうということがありました。

 

また、「自分はこんなにも他者に尽くしているのに、何で周りは自分に何もしてくれないの!」と事あるごとに怒りや不満が沸き起こることもありました。
その時、「だったら初めから、自分を犠牲にしてまで尽くさなければいいのに‥‥」という当たり前のことを思いました。

 

そして、その後は相手に何の見返りも求めずに心からやりたいと思えることだけをするという風に徐々に変化していくようになり、そういった不満を抱えるということも解消されていきました。

 

自己犠牲によって他者に尽くしても、それは本当の意味で奉仕、貢献にはならないということがわかりました。自分を十分に満たしてから、初めてパワフルな最高の状態で他者に対しても何らかの手助けができるのだと思いました。

 

もし自分自身の心身をケアしないでいると、自分がまずそのことによって肉体的にも精神的にも苦しみますが、その周囲にいる他者もどこか私のことを心配していたり、私のケアをしようと意識を向けるため、その相手の時間やエネルギーも奪ってしまうということに気づきました。


特に家族など身近な人にその影響が強く現れるということもわかりました。

 

実際、無理している人のそばにいると、その人をカバーするために自分も無理しなければならないということが重なり、自分が無理をするとその負の影響が周囲に広がっていることに気づきました。

 

心身のケアはまず自分自身のためにも必要ですが、他者にとっても自分のことは自分でしっかりと管理できるという安心感を与え、自立した人として見てもらえるという点で大変メリットがあるということにも気づきました。

 

また、自分を粗末に扱っている人よりも、自分を慈しんで大事に扱っている人の方が接していて好感が持てます。そういう人と接すると、きっと自分も大切にしてもらえるのだろうなという印象を自然と持つからです。

 

自分を愛し大切にするということはナルシストという意味ではなく、生きる上での基本、基盤、根幹をなすあり方であるということを思うようになりました。

 

2.頼まれ事を断れない

4.相手に嫌われないように都合の良い人を演じてしまう

→頼まれ事を断れないと、他者に私の境界線を誤って認識させることに繋がり、結果的に要求がエスカレートしていくということがわかりました。

 

無理して引き受けたのはよいものの、相手の望むような成果が与えられなかったとしたら、それは相手に対して失礼にあたります。
また、もし無理して引き受けたのに、感謝されなければ自分も不満が募る一方で悲しいだけです。

 

「できなことはできない」、「ここまでならできるけれど、これ以上は無理」とはっきりと主張することは、実は相手のためにもなっています。

 

もし私が無理して引き受けなければ、その人は自分でやるか、別の人に依頼して私が行うよりもよりよい結果を手にしていたかもしれないからです。
何もかも自分が頼み事を引き受けるのではなく、断ることも実は相手のためになるということに気づきました。

 

頼み事を断ると相手に嫌われそうで怖いと思ってしまう時は、それで嫌われるのなら仕方がないと開き直ることにしました。そういう人はそういう風に相手を判断する人なんだとただ受け入れました。

 

でも、一方でたとえ断ったとしても、それを気にもとめず普通に受け流してくれる人もいましたので、それは相手の感じ方、受け取り方の違いであって、私が断るから嫌われるのではないんだということもわかりました。

 

段々と自己主張をしていけば、「この人はこういう人なんだ」「ここまでは受け入れてくれるけれど、ここからはダメなんだ」と相手がちゃんと自分の境界線を認識してくれるようになります。

 

そうすれば、自然と無理な依頼も減ってきて、頼まれ事を断る以前に自分に合わない、必要のない頼まれ事がやって来ることが減り、自然と快適に過ごせるということもわかりました。

 

自己主張をすることは自分を守るためでもあると同時に、広い視野で見たとき相手のためにもなっていると思うようになりました。

 

3.自分の意見を抑えて、相手の意見ばかりを尊重してしまう

ある時、話し合いの場で私はいつものように自分の意見を黙ったまま、周囲の意見ばかりを尊重していました。その結果、その話し合いが一行にまとまらず、ずるずるとただ時間だけが過ぎいくということが起きました。

 

最終的にその状況に嫌気が差し、初めて自分の意見を発言することで、それまで停滞していた流れに少しの変化が生まれました。

 

他者の意見ばかりを尊重していると、もしそれが偏った方向や堂々巡りに陥っていた場合、その責任を共に背負うことになるということがわかりました。
結果として自分もその泥船に乗ることになり不利益を被りますが、同じ場にいる他者にとってもそれは不利益になるということを思いました。

 

自分自身のためだけでなく、他者のためにも自分の意見を伝えることは、新たな気づきを生んだり、状況を改善する一つのきっかけになるということがわかりました。

 

もしそういった意味がなくても、自分の意見をしっかりと持ち、主張できるとうことは自尊心を保つ上でもとても重要だとわかりました。

 

また、もう一つ自分がその行動を改めてなくてはと思わせられる象徴的な出来事がありました。

 

ある時、私はある人の行ったミスに気づき、もっとこうすればいいのになと思ったことがありました。でも、それを指摘するのは相手に悪いという気がして、何も言わず黙って見過ごしてしまいました。

 

すると、そのミスがそれよりも大きなミスになって発覚し、その人が上司にひどく怒られてしまうという出来事に発展してしまいました。

 

その様子を見た時、私が気づいた小さなミスのうちに、その人にそのことを伝えてあげていれば、大事にもならずさらにその人も上司に怒られずに済んだのにと、どこか自分が見過ごしたことに対して申し訳ない気持ちになりました。

 

その出来事は私の中で印象的なものとして残り、自分の意見を軽く見ずに大切にすること、必要であれば言葉に配慮しながら、そのことを伝えることは相手のためになるということを思いました。

 

そういった経験から、私は自分の感じたこと、思ったことを邪険に扱わず、それには何らかの意味があると思うようになり、自然とそれを尊重し伝えることができるようになっていきました。

 

自分のことを軽んじ他者だけを尊重することは、最終的に周囲にとってもマイナスになるということに気づき変化することができました。

 

次回「新しい価値観を与える その2」に続きます。