いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法

いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。

自分はかつて人をいじめていた

私はいじめや差別にあうそれ以前に、他者にひどく悪口を言う癖がありました。

 

今思い出しても申し訳なく思いますが、小学校低学年の頃、私は友達だった子の悪口を交換ノートに書いたり、他の同級生たちがいじめていた子を一緒になって言葉で傷つけていました。

 

当時の自分はどうしてそんなことをしていたのかよく覚えておらず、悪いことだという認識がなかったのだろうと思いました。また、それを行うことに対して何の疑問も持っていませんでした。

 

善悪の判断が介入することなく当然のこと、当たり前のこととして日常化していました。

 

でも、それから数年後、今度は自分が反対にいじめられる側にまわり、
それがどれほど辛く悲しいことか思い知らされることになりました。

 

その頃のことを今でもはっきりと覚えているのですが、
私は小学校から一人帰る道の途中で、
「自分はもう悪口を言って人を傷つけないようにしよう」と固く心に誓いました。

 

今そのことを思い出しながら、私は奇しくも一つの人生においていじめる側もいじめられる側も両方経験していたんだとふと思いました。

 

また、自分がいじめられる側にまわった瞬間、心の隅で「これがこっち側の気持ちなんだ」とどこか冷静にその状況の変化を眺めている自分もいました。

 

まさに今自分の立場が逆転したという瞬間が、あまりにもはっきりとわかりやすかったため、心の中では興味深いという意味で「こんなことがあるんだ!」とどこか驚いている自分がいました。

 

また、いじめる側からいじめられる側になるという順番で経験したことで、どこか心の中で救われていた部分もあったように思えました。

 

なぜなら、人がどんな風にいじめられるのかを体験する時、まず自分自身が他者をいじめていた時に使った方法を使われる可能性があるということはわかったからでした。

 

その他にも、小学生の頃、それまでに同級生がいじめられている様子も見てきていましたので、いじめられるということがどういうことをされることなのかを知っていました。

 

そのことで幸いなことに、これから自分の身に起こるであろうことはだいたい予測がつきました。

 

どれも案の定というかたちで、「やっぱりこうなるか」「昔あの子がされていたことを今は私がされているな」と自分のことを客観的に見ていました。

 

また、他者がいじめられている様子を見てきたことで、あの子はいじめられている時こういう気持ちだったんだと思いを重ねることもできました。

 

それと同時に、その気持ちを味わったのは自分だけではないんだという安心感と、いじめられていた子に対して変な仲間意識のような感情も芽生えたりしました。

 

この時、人生において自分のした行為を他者にされるとこんな気持ちになるんだということを初めて実体験を通して理解しました。

 

そして、その立場の逆転がすぐに自分の身に起きたことはある意味で幸せなことだったとも思いました。

 

もし私が差別されたり、いじめられるという経験をしてこなかったら、きっと小学校低学年のあの頃のまま、私は人の悪口を平気で言い続けていたかもしれないと思えたからでした。

 

当然の報いとも言えるし、心を改めるきっかけを与えてもらったとも言えるので、
どちらにしても必要なことだったのだろうと思いました。

 

自分がもし今生の死を前にして自分自身の人生を振り返った時、「いじめる側、いじめられる側、両方経験することができたことはある意味でお得だったな」と思うような気もしました。

 

見方によっては、人生で両方を味わうことによって、多くの気づきや発見、感情を体験することができたので、それはある意味で豊かだった、幸運だったとも捉えられる気がしたからでした。

 

そう考えると改めて人生への感謝の念が湧いてきました。

 

また、いじめや差別を乗り越え、私が今を幸せに生きる姿を見せることは、過去にそのことに関わった人たちを遠いところで救うことに繋がるとも思いました。

 

それは、私をいじめた人たちが罪悪感、罪の意識を抱く機会を消すことに繋がると思えたからでした。

 

昔の私自身もそうでしたが、他者をいじめてしまった人たちの多くは、幼さ故、無知が故に、不本意に人を傷つけてしまったこともあると思いました。

 

また、その場だけの感情や、周囲につられて一緒になって加担してしまったということもあるように思えました。

 

そういった人たちが時を重ねるにつれて、自分が過去にしてしまったことに気づき、
後悔や罪悪感に苦しむことがあると思えた時、
いじめや差別を乗り越え幸せに生きる姿を見せることは、その罪悪感や自責の念を和らげる助けになれるように思えました。

 

結局のところ、そのように他者を許すとき、結果的に過去の自分自身をも一緒に許すことに繋がっているのだということに気づきました。

 

そのことからもすべては丸く収まるようにできている、
人生において不必要な出来事など何一つないのだということを改めて感じました。